[開会全体会議・基調講演]
伝統的宗教の遺産を活用して真の平和文化の建設を

タイ王国外務大臣 スリン・ピッツワン

 

1.はじめに

 今我々は、極めて重大かつ絶好の人類新生の時を迎えている。私はそう確信している。21世紀が間もなく始まろうとしているが、20世紀を振り返ってみると、誰しも認めるのは、それがもっとも動乱と悲劇、暴力に満ちた世紀であったという事実である。それは単に人類の味わった紛争の数においてのみならず、それらの紛争による犠牲者や死傷者の数においてもそうであった。イデオロギーの対立による戦争、領土紛争を伴う戦争、そして大量殺戮を伴う戦争が、世界のほとんどの大陸で繰り返された。20世紀も終わろうというとき、東欧では、再び国家や国民が引き裂かれ、異民族同士が武力衝突した。アフリカのヴィクトリア湖周辺(ルワンダ)でも不幸で悲劇的な闘争があった。何百万もの人々が苦しみ、移住を余儀なくされ、その惨澹たる状況の中に省みられることなく取り残された。

 ここ東南アジアも同様の悲劇と災難から免れることはできなかった。残念ながら、この地域も長く苦痛に満ちたさまざまな紛争を経験した。そして、私はこのタイも紛争の只中にあることを皆様にご理解頂きたいと思う。タイはさながら台風の目のように紛争の只中にあって、周辺で起こった衝突の結果に苦しめられている。何百万もの人々がこの平和な国を通過して行った。我々は彼らを快く受け入れ、保護した。世界のどこを見ても、タイ文化以上に思いやりのある文化は他に見当たらないであろう。しかしながら、過去に起こったあらゆる悲劇、暴力、災難、苦痛、死の故に、新世紀を迎えようとする今、スイスの有名な精神科医カール・ユングの言う「集合的無意識」(collective unconsciousness)が世界に現れようとしている。そしてこの「集合意識」は、全ての人類の平和を切望している。

2.伝統宗教の偉大な遺産

 皆様がこの会議で探求される内容は、非常に適切で的を得たものであると思う。すなわち、全ての偉大な宗教の価値観を統合する手段を模索し、それらの価値観からインスピレーションを得ようとする試みである。そして、それらの価値観を道具として、より平和で思いやりのある世界、理解と友情、調和に満ちた世界を実現しようというのである。

 例えば、バラモン教から規律、犠牲、献身などの価値観を取り入れて出発点とするなら、それらの価値観によって全ての人が恩恵を受けるようになるであろう。すなわち、皆様が価値あると信ずる事柄のために規律を身につけ、犠牲となり、献身的に働くのである。また仏教の教えから「慈悲」と「無」(無私無欲)の精神を取り入れるなら、平和を探求する道を正しい基盤の上に出発させることができる。またキリスト教から「愛」を取り入れるなら、愛と理解に満ちた世界へと導く強力な推進力となるだろう。イスラム教から全ての人類は神の目に平等であるという精神を学ぶなら、我々の前後左右の隣人は全て神が創造した平等な人間であることを理解する上で、大変有益であろう。それゆえ、自分自身を愛するように、他人を尊敬しなければならないのである。更に、我々が儒教から共同体の幸福と孝行の精神を取り入れ、自分の幸福以上に全体の幸福を優先し、地域社会や家庭の幸福を自らの最上の願いとして一身を捧げるとしよう。そのようになるならば、我々が手にする文化や社会は、理解、慈悲、愛、孝行心に溢れるものとなるだろう。

3.国連の新しい概念

 国連は人間の安全保障について二つの点で説明している。一つは恐怖からの自由である。暴力の恐怖、紛争の恐怖、身体的暴力の恐怖、権利侵害の恐怖など、あらゆる種類の恐怖からの自由である。平和と調和の世界では、人は恐怖から解放されていなければならない。国連が世界のために描いたもう一つの自由は、欠乏からの自由である。我々一人一人が、充足している、適切な注意を払われていると感じられなければ、また財産と暮らしと繁栄を少しでも享受する権利が自他共に認められなければ、世界に平和はもたらされないのである。

 従って、我々が平和で調和のある世界を希求するとき、そして友情に満ちた世界を求めるとき、全ての人が恐怖と欠乏から解放され、安全だと感じるに違いない。今や安全保障の概念が変わったのである。2年前、国連の事務総長は新しい概念を提案した。それはより平和な世界を創造する概念である。世界で紛争と暴力が増大しているが、それらは国家対国家の争いでも、国民対国民の争いでもない。そのほとんどが一つの主権国家の内部で起こっている。国家権力者たち自身が国民に対して暴力を振るい、国民の権利や安全を侵害している中で、我々は同じ共同体の一員として、どうやってそのような人々を欠乏と恐怖から解放することができるのか?国連事務総長は「人道的介入」という新しい概念を導入し、国連内部のみならず世界中で論議を呼んだ。しかし新しい時代において、この概念は明確に定義され、人々に理解され、実行に移される必要がある。しかし、実行されるに際しては、国家に関与しない方法で、同時にその国の市民を守ることができなければならない。

 今や世界の偉大な伝統宗教が貢献する時が到来した。我が国の長老政治家が今朝話したように「我々一人一人、皆様一人一人が、果たすべき役割、貢献できる何かを持っている」のである。イランのハタミ大統領の提案により、国連総会自体も2年前に、「文明間の対話、そして仏教、イスラム教、キリスト教、バラモン教など、世界のあらゆる宗教の間で真剣な対話が必要だ」という提案を行ったのである。この提案は、新千年紀の世界に関する悲観論、即ち、世界中に「文明の衝突」が起こるであろうとの見方に対して発表されたものである。

 我々はここで立ち止まって過去の世紀の体験に注意を払い、偉大な宗教の豊かな遺産を活用し、新しい平和文化を創造しながら、人類のため、新世紀のため、新千年紀のための新たなる戦略を考えよう。もしそれができなければ、人類は絶滅の危機に陥るに違いない。その危険は我々の目の前にある。しかし同時に、我々は生き残らなければならず、そのチャンスも残されている。それは全て偉大な信仰の伝統を受け継ぐ、我々一人一人に懸っている。

4.平和文化の建設に向けて

 我々は今日、平和文化と呼べるものを創造する必要があるが、それはそれぞれの偉大な宗教の中に明らかに存在している。しかし、過去2千年あまりの間、我々は文明間、宗教間の溝を埋めることができなかった。今我々にはそのための道具もあり、資源もあり、豊かさもあり、技術もある。参加者の皆様は、新しい平和文化について話し合うため、世界各地から便利で、容易で、快適な旅をして集まって来た。私はウェブサイトや出版物などを通じて、皆様の議論の結果をさらに何百万もの人々が読むことができるよう望んでやまない。人類が生存し、平和と平和文化を築くために必要とされるさまざまな要因が、今ほど整えられたことは、歴史上一度もなかった。この好機を捉えなくてはならない。我々はこれをよい機会とし、それら全ての要因を用いて全人類の真の好機へと変えてゆかなければならない。

 皆様が求める平和文化の基礎となり鍵となるたった一つのものは、再度申し上げるならば、あらゆる宗教の中で既に明らかにされているもの、すなわち「平等」である。それは、人種、言語、民族、政治的主張などによって差別されない人類の平等、男女の平等、一人一人の平等である。しかし、それは先験的に存在するものではなく、我々自身が自らの手で培い受容していってこそ実現できる性質のものなのである。

 人類は一体不可分であり、お互いから分離した存在ではない。我々は同じ人類に属し、同じ種に属している。我々は相互に助け合うことも出来るし、逆にお互いを殺し合うこともできる。そして、どういうわけか、人間は自分で自分の種族を根絶する能力を持つ唯一の生き物である。世界の歴史上、また宇宙の歴史上、このような能力を有するのは人間だけである。恐竜でさえ、そのような能力は持っていなかった。恐竜などの我々以前の種の絶滅は、環境の変化やその他の要因が原因であり、自分自身が持つ能力のためではなかった。我々は人間以外の生き物より優れていると誇ることもできよう。しかし同時に我々の行動の如何によっては、我々自身の手で、我々自身の力で、人類が絶滅の危機に追いやられるかもしれないのである。だが、我々はお互いから切り離された存在ではなく、同じ人類に属している。

5.最後に

 私の話を終わる前に、もう一言だけ付け加えておきたい。
ある理論によると、非常に高い超越したレベルでは、あらゆる宗教が同じことを説いているという。比較宗教学の理論で、これを「宗教の超越的統一」と呼び、この超越的なレベルでは、皆が同じことを言っているというのである。皆様がさまざまな宗教的価値観を活かしながら研究を進める手法を用いておられる点を、私が称賛するのは将にこのためなのである。もちろん人によって強調する点は異なるであろうし、それらを追求する手段もさまざまであろう。しかし、さまざまな宗教的価値観は全て、それらを用いて暴力と抑圧と不平等の世界から脱出する道を与えるためにある。

 我々が一つであるという点を強調するために、ある人物について触れたいと思う。それは人類は一つであるという思想で知られる、ジョン・ダンという17世紀英国の超越詩人である。彼は「誰がために鐘は鳴る」という詩の中で、次のように述べている。

 「なんびとも一島嶼にてはあらず<誰も孤島ではない>」。スリランカも、日本も、シンガポールも、英国も、孤島ではない。誰も孤島ではない。自分一人で完全ではなく、他の誰にも頼らず、自分の力だけで自分なりに立っているのでもない。誰も孤島ではない。いかなる男性の死も、いかなる女性の死も(この場の女性に敬意を表して)、苦しみも苦痛も、いかなる人の死も、「みずからを殺ぐにひとし。そは我もまた人類の一部なれば。<自分が欠けてゆくようだ。なぜなら私も人類の一部だから>」と彼は言った。

 この場の皆様のために、300年前のジョン・ダンに倣ってみたいと思う。「ゆえに問うなかれ、誰がために鐘は鳴ると。誰がために新たな平和文化の鐘は鳴ると。そは汝がために、汝がために、汝がために、この部屋の全ての人々のために、全人類のために鳴るなれば。」

(これは、2000年11月30日〜12月4日、タイ・バンコクにおいて開催された第27回ICWPの開会全体会議における基調講演をまとめたものである)