21世紀への大学改革へのビジョン
―米国の経験と日本への提言―

ブリッジポート大学前学長 リチャード・ L. ルーベンスティーン

 

1.「文明の衝突」

(1)ハンチントンの論文の影響
 まず、私は21世紀の国際関係の在り方に影響を与える可能性のある要因のいくつかについて論じ、将来の問題を考えてみたい。特に私が指摘したいのは、最近極めて影響力のある米国及び英国の政治学者の多くが「西洋文明と非西洋文明は21世紀において衝突するか」という問題を提起している事実である。中でもハーバード大学のサミュエル・ハンチントン教授が有名である。

 この問題は、1993年に強い影響力を持つ米国誌Foreign Affairsの中で、ハンチントン教授が「文明の衝突」と題する論文を発表し、最初に提起した。ハンチントン教授の論文はその後拡大して出版され、ベストセラーとなった(注1)。

 もともとの論文において、ハンチントン教授は、その根本的なテーマを次のように述べている。
冷戦後の世界において、
「紛争の根本的な源は、第一義的にはイデオロギーや経済的なものではないだろう。人類の間の大きな分裂や紛争の世界的な原因は文化的なものとなるだろう。国民国家は、引き続き世界の問題において最も力強い役割を果たし続けるであろうが、世界的な政治の主要な紛争が起こるのは、民族間、文明のグレープの間においてである。文明の衝突が世界政治を支配するであろう」(注2)。

 この誌上で、この論文は大変な注目を浴びたが、これはジョージ・ケナンが、有名な「ソ連の行為の源泉」という論文を1947年7月号に、「X」(注3)というペンネームで発表して以来のことだ。この論文においてケナンはソ連政権が、溶解または崩壊することを望みながら、「長期的で忍耐強い、しかし断固としたソ連の拡張傾向の封じ込め」を提案した。

 我々が知っているように、ケナンのこの提言は、多かれ少なかれ、その後の半世紀における米国の外交政策の基礎となった。米国外交に影響力のある専門家の多くがハンチントン教授の見解に異議を唱えたが、この論文が新しい千年紀における米国外交政策の基礎となり得ると推測されている。

(2)なぜ文明は衝突するのか
 なぜ文明は衝突するのか。簡単に言えば、ハンチントン教授によると、技術の拡大によって世界中の人々が直接的に、あるいはメディアを通して、かつてなかったほどに接触するようになる。しかしながら、人々がお互いをより深く知れば知るほど、言葉や歴史の違いを感じるだけでなく、もっと重要な価値観、すなわち、

 「神と人間との関係や個人と団体、あるいは国民と国家、親と子、夫と妻の関係、また権利と責任、自由と権威、平等と階級組織などの相対的な重要性に関する異なった見解」(注4)
をめぐって、お互いの違いをますます感じるようになるからである。

 ハンチントン教授によると、今や世界は政治の境界線がますます文化的な境界線の方に引かれつつあり、文化的な線に沿って世界政治が再編されつつある。「あなたはどちら側にいるか」との問いが、「あなたは誰であるか」や「我々は誰でないか」という問いに取り換えられつつある。

 別の言い方をすれば、ハンチントン教授によると、アイデンティティーの問題に対処する上で重要なのは、血統や信条、信仰や家庭でる。これは必ずしも、異なった文明間の同盟は過去の産物であるということを意味しない。力のバランスを維持する必要性が、そのような同盟へとつながることはあり得る。

 例えば、米国と英国の力を制限するために、フランスはしばしば両国との関係が良くない国、イラクやイランなどと友好関係を持とうとした。これは、フランスの昔からの戦略である。シャルル・ドゴールが「国には味方というものはいない。あるのはただ利害だけである」と言ったと伝えられている。スペインのフィリップ2世がトルコの海軍力を抑えようとしていた1570年代において、カトリーヌ・メジチの下にあったキリスト教国であるフランスは、ひそかにイスラム教国家であるトルコを助けていた。

 それにも関わらず、「我々」は文明的であり、「彼ら」は文明の外にあるという考えが、世界の至る所において人間の文化の中で絶えず見られる。ハンチントンの見解によれば、こうした違いを強調する傾向は、

(a) 白分たちとは違うと見なす人々に対する優越感(時としては劣等感)、
(b) 違った人々に対する恐れ、もしくは信頼の欠如、
(c) 言語の違いや文明的な行動と見なされることの違いから生じるコミュニケーションの困難さ、
(d) 他の人々の考え方、動機、社会との関係、社会の慣習などに対する理解の欠如、
などから生じる。ハンチントンは、紛争というものは至る所に存在するものであり、憎むということは人間的な行為であると主張し、その原因となるもののリストを締めくくっている。

 アリストテレスが、全ての定義は否定の方法によると言った言葉に呼応して、ハンチントンは我々に対して、「我々が何者であるかを知るのは、我々が何者でないかによって知る」という事実を思い出させてくれる。ハンチントンによると、人々は自己を定義し動機づけるために敵を必要とするのである(注5)。

(3)世界の主要文明の展開
 ハンチントンは、主要な文明として次の七つ、もしくは八つをあげている。西洋文明、中国もしくは儒教文明、日本文明、イスラム文明、ヒンズー文明、スラヴ・キリスト教・東方正教文明、ラテンアメリカ文明、そしてアフリカ文明である。西洋ということで彼が定義するのは、ヨーロッパ及び北米諸国であって、それらの文化はラテン語が公用語であったキリスト教圏に由来している。日本においては、仏教や儒教の影響が強くあるが、ハンチントンは日本は独特の、またはっきりとした主要な文明であるとして区別している。

 ハンチントンはまた、イスラム教と儒教文明は比較的上昇傾向にあり、西洋文明は比較的衰退傾向にあると見ている。また彼は、将来最も現実化する可能性が高い対立は、イスラム教文明と儒教文明の同盟と、それに対する西洋文明との衝突するであると考えている。

 すでに述べたように、ハンチントンは、文明の衝突は冷戦時代においては抑制されていたが、冷戦の終結と共に文化的な紛争がより強い力を持って再び生じており、これらの紛争において宗教が大きな役割を果たしていると主張している。

 例えば、1990年代におけるバルカン半島における戦争の中にその例を見ることができる。最初の破壊的な争いの始まりは、ローマカトックを信奉するクロアチアと、ロシア正教を信奉するセルビアとの争いであった。その紛争が収まるにつれて、セルビアがボスニアのイスラム教徒との非常に暴力的で破壊的な戦争を始めることになり、さらに最近では主としてイスラム教徒が支配的なコソボにおいて、そのような争いを起こした。セルビア人がイスラム教徒に対して敵愾心を持っている背景には、トルコがバルカン半島及び東欧の大半を文配していたという歴史的な記憶が横たわっている。

 ハンチントンは、バルカン半島における戦争は「断層線の紛争(fault-line conflicts)」の例であると述べている。「断層線」というのは、文明の境界を定義する境界であり、また文明の間の紛争が危機や流血の引火点となりやすい境界のことを意味する。このような断層線はまた、政治的かつ軍事的関係をも決定する。

 ポーランドやチェコ、ハンガリーがNATO(北大西洋条約機構)加盟を申請したが、これらの国は皆、ラテン語を共通語としていたキリスト教圏の後を継いでいた国であり、それらの国の加盟申請は好意を持って受け取られた。ところが、東方正教会を信奉するブルガリアやルーマニアの加盟申請は、これまでのところ、避けられたり拒否されたりしている。同様に、トルコがEU加盟を申請しても、常に拒否されてきた。その原因として宗教的要因は述べられてはいないが、トルコが加盟を拒否されるのは主としてイスラム教のためであると広く信じられている。

(4)文明の衝突と大学の役割
 ハンチントンの見解に対して議論を続けていけば、彼は一方において「西洋」、他方においてイスラム・中国文明という両者の間の、ほとんど不可避的な暴力的な衝突が起こるというシナリオに主な焦点を当てている。文明の衝突はまた、「西洋とその他の世界」との間の衝突としても描かれている。残念ながらハンチントンは非常に知識のある歴史家・政治学者であるために、それを途方もないこととして無視することはできない。

 ハンチントンが描いている将来の姿は、楽観的なものではない。これについて少し詳しく述べたが、それは次の二つの理由からである。(a)その多くは、我々が人間がしばしば行動する方法として知っているものと首尾一貫しているということ。(b)彼の論点は影響力があり、米国の外交政策に影響を与えるかもしれない。

 それにも関わらず、もし世界平和教授アカデミーが何かを主張するとすれば、それはより密接に連携している世界経済の中で国や文明が協力することは、単に望ましいだけでなく、絶対に必要であるということである。ハンチントンのような政治の理論家が重要であるのは、彼らがある程度の現実主義によって、そのような任務がいかに困難であるかということを示しているからである。我々が21世紀に近づくにつれて、明らかに大学は文明の衝突への引き金となる文化的な争いを助長することもできるし、世界的な協力ヘと貢献する可能性も持っているのである。

2.大学の歴史と「合理化」

(1)欧州中世における大学
 歴史的に大学は二つの目的に奉仕してきた。大学が創設されたのは、それを創設し支援した国や文化的共同体の必要性に奉仕するためであった。大学はまた国際協力の機関としても奉仕した。しかし、大学やその他の高等研究機関が創設された背後の理由は、その大学のスポンサーとなった社会の権力を向上させるためという面があったことも認めねばならない。これはボローニャ大学やパリ大学のような中世の大学についてもあてはまることであり、神学が学問の女王と呼ばれていた当時においてもあてはまることであり、また日本においては明治維新後の1887年に創設された東京帝国大学(現在の東京大学)についてもあてはまることである。

 最初の大学と言えるものが創設されたのは、11世紀のボローニャにおいてであった。その始めにおいては、学問分野は民法と教会法のみであった。このように大学は根本的には現実的な目的に奉仕したものであった。大学は当時の最も重要な分野、すなわち教会と国家という二つに奉仕する学生を養成した。神学でさえも現実的な目標を持っていた。神学者は実証的な体験から来る主張と、宗教的な信仰から来る主張との間の争いや不和を減少させることにおいて知的な専門家たちであった。ボローニャにおいて医学部と哲学部、あるいは一般教養学部が創設されたのは西暦1200年頃であった。神学と同様に哲学もまた現実的、実用的な目的に奉仕した。

 イスラムはその軍事的な挑戦に加えて、イスラム教徒が圧倒的に重要で知的かつ文化的な挑戦をもってキリスト教に対抗した。大学は異端や信仰を持たない者に対する守りの組織として、キリスト教の宇宙観をイスラム教や信仰を持たない者の挑戦から知的に守る神学者や哲学者を養成した。

 プロテスタントの宗教改革や力トリックの反宗教改革は、いずれも大学が神学上の正統性を守る責任を強化した。ここにおいても哲学者や神学者たちは、彼らの宗教社会の象徴的な宇宙を守るために養成された。イスラム教の挑戦に加えて、今やラテン言語を共通語としたキリスト教世界の内部の分裂から生じる知的な挑戦もあった。17世紀までにプロテスタントとカトリックの大学は共に、それぞれの教義を守ることを第一の使命と見なしていた(注6)。19世紀に入るまでは、大学が科学に対して、ほとんどあるいは全く興味を示さなかった事実は驚くにあたらない。

 「どうしてキリスト教の象徴的な宇宙を守ることが、大学にとって重要と見なされていたのか」と尋ねられるかもしれない。「何が教育的に危険とされていたのか」と尋ねられるかもしれない。私はその答えが、道徳的および政治的な正統性の中にあると信じる。

 近代に至るまで、政治的な正統性は宗教に由来していた。人が王に仕えたのは、王が優越的な権力を行使したからではなく、その王が「神の恩恵」による王であったからだ。あらゆる政治的な命令は、自己の個人的な利害の上に、より大きな社会の利害を要求したに違いない。最も極端な例で言えば、政治的な命令は個人に対してその生命を危険にさらしたり犠牲にすることさえも要求するかもしれないのだ。

 第二次世界大戦中の神風特攻隊の飛行士たちは、そのような命令の下で行動した。このようなことは強要されてするよりも、むしろ自発的にするのが最善である。中世のキリスト教徒たちがそうであったように、自分たちの地域社会の価値観は神聖なものであり、自らの地域仕会には独特な神聖な何かがあると信じる男女は、服従を強いられると感じたり、力のみによって隷属させられると感じる人々よりも、はるかに自ら進んで犠牲となる人々である。

 教会法や市民法、哲学や神学を通して、キリスト教の道徳的な宇宙を守ることによって、大学は人間と社会のための道徳的秩序を創造するという非常に重要な現実的機能を果たしたのだ。まだ国家というものが未発達であった当時において、哲学や神学の抽象性の下に大学は非常に現実的な必要性のために奉仕したのである。

(2)近代国家形成期の大学
 それにも関わらず、18世紀の末までには、政治的な命令の必要に対処するという大学の機能は、予期せぬ結果をもたらした。それ以前の封建君主制から次第に統治された領邦国家が勃興し始めると、その国家の王や支配者たちは官僚や役人などの職業的に訓練された階級に依存するようになった。

 役職を伝統的な財産特権の相続に依存した封建時代の役人とは違い、大学での研究や取得した資格によって役職に任命された新しい官僚や役人たちは「国家の奉仕階級」を形成していった。例えばプロシアでは、国家が統括する教育機関や既成のルター派の教会の階級組織にいる行政官僚、司法官僚、教師、教授たちがこの階級を構成していた(注7)。

 近代国家は、「政治的中央集権化」と「合理的組織化」を促進するため、これらの役人を必要とした。その結果、実際的な問題に適応する合理性を訓練することが、信仰を守る訓練と同じくらい重要なものとなった。やがて、そのような合理化精神がキリスト教の信仰にとって急進的な挑戦をもたらすものとなった。このことは、将来大学や教会の組織において国家レベルの役人の地位を持つ運命にある者が大部分であった神学や哲学を専攻する学生たちにもあてはまることであった。

 皮肉なことに、彼らの受けた訓練や国が支配する組織における彼らの役割のために、宗教的な役人たちは近代化や合理化の代行者となった。合理化精神の結果、旧約聖書や新約聖書のような聖典は、ドイツの神学校で訓練されたプロテスタントの学者たちによって政治的、社会的、また経済的な条件に対する反応として作られた人間的な文献であると解釈された。このことは、聖書における神の選びという教義を疑問視するという影響をもたらした。大学や大学が訓練した指導者たちは、かくして経済や社会の合理化の代行者となり、それが近代を特徴づけることとなった。

(3)マックス・ウェーバーの合理化についての分析
 ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、経済や社会の合理化について古典的な分析をしている。ウェーバーは、近代世界は官僚的に組織化され構成されていると見た。1916年の著作の中でウェーバーは次のように述べている。

 「官僚制は完全に発達した時には、軽蔑も偏見もない原則の下に立つ。資本主義によって歓迎されているその特定の性質は、官僚制が『非人間化』されればされるほど、また官僚の仕事から愛や憎しみなどの純枠な人間的、非理性的、感情的要素を取り除くことに成功すればするほど、完全に発達する。このことが官僚主義の特質であり、それは特別の美徳であると評価されている」(注8)

 ウェーバーはまた、官僚制がそれ以前の封建主義やカリスマによる指導体制などの人間的な社会政治組織と比べて、技術的により優れていて、より効果的であると見ていた。

「あたかも機械を非機械的な様式の機構と比較するのと同様に、完全に発達した官僚制のメカニズムはそれ以外の組織と比較することができる」(注9)

 もちろんウェーバーは、「完全に発達した」官僚制は実際の官僚制が及ばない理想的な姿であると理解していた。それにも関わらず、彼は官僚制は複雑な社会において不可欠な人間組織の様式であり、官僚制は甘言や相続した地位、あるいは賄賂のような「計算から逸脱する、全ての純枠に人間的な要素」とは無縁な傾向があることを理解していた。

 彼はまた、機械と同じように、「完全に発達した」官僚制は、政策決定者が持つ価値観や目的以外のいかなる道徳的・倫理的な価値観によっても制御されなくなることさえ理解していた。その洞察は、次のような言葉に暗示されている。

「役人の名誉は、上の権限者からの命令を、あたかも自分自身の確信と一致するかのごとく良心的に遂行する能力の中にある。(たとえその命令が間違っていると感じられ、忠告したにも関わらず、権限者がなおその命令を主張し続ける場合にもこのことはあてはまる。)このような最も高い意味における道徳的規律と自己否定がなければ、すべての組織は崩壊するであろう」(注10)(括弧内は筆者による)

 ウェ一バーはヒットラーやスターリンのような人物を予測していなかったが、彼らの組織の中核となった役人たちは、上からの命令がたとえ間違っていたり、非道徳的なものであるように見えたとしても、良心的に上の命令に従うことによって役人としての彼らの「名誉」を維持することができた。どんなに極端な行為であっても、それが政策決定者によって命令され正当化されている限り、許されないものではなかった。

 ウェーバーとその他の社会理論家たちはまた、経済生活の合理化が最高に発揮される場所は、労働が最も良い価格で獲得される商品と見なされ、需要と供給の法則に厳密に支配される純粋な市場経済においてであると主張した。いかなる付帯的な価値も、たとえ正義と道徳の神の法律さえも、絶対的に自由な市場の機能を制約をすることはできない。このことは、市場経済の性質に関するウェーバーの次の言葉に暗示されている。

「このような市場社会は、人間がお互いに出会うことのできる実際の生活の最も非人間的な関係である…。この非人間性は、無味乾燥で商品のみを中心とする性質によるものである。市場がそれ自身の傾向に従うことが許されている場所においては、参加者はお互いの人間性を見ることなく、商品のみを見るようになる。そこには兄弟意識や畏敬の念からくる義理はなく、個人の結合によって維持される自然発生的な人間関係もない。そうしたものは、むきだしな市場関係の自由な発展を妨害するだけである…」(注11)

(4)合理化の矛盾性
 ウェーバーは、彼の観察の結論として、やや控えめながら次のように結論づけており、その中で我々は近代世界を生み出してきた経済的社会的変化の合理化に関する彼自身の判断を見分けることができる。すなわち、「そのような絶対的な非人間化は、全ての初歩的な人間関係の形と相反するものである」(注12)と彼は述べている。

 彼がこれらの言葉を書いたのは20世紀の最初の10年間においてであるが、これらの言葉は20世紀末の現在の社会経済にも当てはまる。英語を話す国々の経済は、東アジアやヨーロッバの経済よりもっと非人格的な貨幣経済の社会に似ている。日本における労働者と主要な企業との絆は、米国よりもはるかに「合理化」の度合いが小さく、またお互いへの忠誠によってより特徴づけられる。

 驚くべきことではないが、新興市場諸国は、西洋式の合理的な経済への移行は安定を損なうものであるということを見出している。それにも関わらず、世界市場における競争という鉄の法則は、日本の企業をして純粋に市場が求める雇用関係を是とする方向に向わせ、終身雇用などの伝統を放棄するよう強いている。これは我々がこの場では十分に論議できない複雑な問題である。

 我々のテーマにとって重要なことは、大学は合理化のプロセスを促進しなければならないが、そうすることによって、大学自体がその問題を深めているという事実である。通常、解決策の一部と考えられている大学が、同時に問題の一部にもなっているのである。

3.大学改革

(1)インターネットの出現とその影響
 教育の権威たちが大学改革を論じる時、彼らは普通、情報技術の革命によってもたらされた変化に言及する。冷戦時代における政府と大学の官学協力による最も重要な事業は、おそらくインターネットの開発であっただろう。

 このネットワークシステムは、もともと1969年にARPANET(先進研究プロジェクト機関ネットワーク)と呼ばれる国防省のプログラムだった。その目的は防衛関連の研究に従事している組織のために、安全で(緊急事態にも)耐え得るコミュニケーションのネットワークを提供することであった。

 やがてその他の分野の研究者や学者たちがそのネットワークを利用しはじめ、1990年代には世界的情報網がインターネットの利用に飛躍的な発展をもたらした。元来、科学的・軍事的コミュニケーションの生き残りの手段であったものが、今や人類の歴史において最も包括的なデータや情報の交換手段となっている。他のいかなるものよりも、インターネットは情報化時代の知的、学術的、商業的、また金融的な発展の現実的な基盤を作り出しているのである。

 これはまた、多くの学術機関の重要性を減じる結果にもつながった。今日、学者や科学者たちはお互いに遠く離れた場所に居住しながら、共同で各種のプロジェクトの仕事をすることが可能になった。

 私白身の体験もその例外ではない。私は毎日のように、ヨーロッパやアジア、北米の仲間たちと連絡をとっている。Eメールに加えて、正式なフォーマットで作成した学術論文や音声メッセージ、フルカラーの写真、ビデオ映像などを同僚に送っている。三年前には、正式な学術論文をヨーロッパやアジアにフェデラル・エクスプレスで送るには40ドルかかり、先方に到着するまで3〜5日かかった。今や同じ論文をEメールの添付書類として一瞬のうちに送ることができ、そのコストは1ドルにも及ばない。さらに、適切な位置にある人工衛星のお陰で、ほとんど全ての形態のコミュニケーションやデータ交換のために、わざわざ電報を送ったり郵送したりする必要がなくなりつつある。

(2)情報化時代の大学の対応
 教育の分野においても、いくつかの勢力が結集し、教育内容を伝達するための新しい手段を求める巨大な需要が生まれている。今や資格のある教師や教育課程を、何時でも世界中の学生に提供することが可能となっている。そう遠くない将来、発達したソフトウェアによって、ほとんど全ての主要言語への同時翻訳が可能となるだろう。

 このような技術の変化と企業の合併や獲得、リストラなどによる配置転換などの理由で、先進国の多くの職業人たちは職歴を重ねる中で何度も高度な再訓練を受けることが必要となるであろう。これは大学の学位取得者や、あるいはほとんど高等教育を受けていない人々にとっても同様である。

 東欧や中国、インド、パキスタン、東南アジア、中南米などの新興市場を持つ国々においては、多くの男女が現在や将来の職業資格を得るために、国内もしくは国外で高等教育を受けようとしている。ブリッジポート大学においても、70ヵ国以上からの学生たちが学部及び大学院課程で学んでいる。学生寮に住む学生の半数以上は、米国以外の国の出身者である。

 とはいえ、伝統的なカリキュラムが消えることはなく、常にハーバード大学や東京大学、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学、ソルボンヌ大学といったエリート教育機関は存在し続けるであろう。しかしながら、学習者の大多数は自分の現在の仕事、または将来願う仕事にとって必要と考える教育内容を求め、そのための投資をするであろう。

 情報化時代は大学にも新しい革命的な環境をもたらしている。21世紀において、伝統的な大学に対する最も重大な試練は、そのような挑戦にいかに対処するかということであろう。もしそれらの大学がこの試練で失敗するならば、直ちに他の機関が高等教育の任務を奪うであろう。

 すでに多くの大企業が独自の教育機関を創設している。ディズニー大学、モトローラ大学、ヒューレットパッカード大学、マクドナルドハンバーガー大学などだ。例えばマクドナルドでは、65ヵ国で従業員を訓練している。米国にあるキャンパスでは18の言語による同時通訳が可能である。これらの教育機関で提供される訓練は主に実用的で専門化されたものだが、それは雇用者たちが職場で昇進し、また現在の地位を維持するために必要な訓練情報である。

(3)新しいタイプの大学の誕生
 さらに、情報化時代の要請に応えるため、これまでとは異なる大学も出てきた。
 フェニックス大学は、今日米国で最も大きな私立大学である。米国、カナダ、プエルトリコに77ヵ所以上の施設を持ち、営利を目的とする私立の教育機関である。過去10年間この大学の学生は3000人から61000人にまで増加した(注13)。この学校は「キャンパスや知的生活のない高等教育の運営上の中核−学生、教師、教室、試験、学位授与プログラムなど」を持つ「準大学」と見られている。

 学長のウィリアム・ギブスは、「我々の大学の学生は、実際には教育を望んではいない。彼らが望むのは、教育が彼らに提供するもの、すなわちより良い仕事、職業における昇進である。彼らはそれを得るために教育に何かをしてほしいと願っている」と述べている(注14)。

 労働力になるための準備をする18〜22歳の若者が学生のほとんどを占める伝統的な大学とは異なり、フェニックス大学は23歳以下の者は誰も受け入れず、職業に就いていて収人のある者だけを受け入れている。約75%の学生は彼らの勤める会社に授業料を負担してもらっている。また、同大学の遠隔教育センターのフルタイムの学生の40%近くを軍関係者が占めており、いくつかの軍事基地や空軍基地にも学習センターを持っている(注15)。

 さらに、近くのアリゾナ州テンプにあるモトローラ大学のキャンパスでは共同でコースを提供している。フェニックス大学が提供する学位は、主にビジネス、経営、情報技術、保健関連の職業、教育などの分野の学士号及び修士号である。

 現実において、フェニツクス大学や、マゼラン大学、英国のオープン大学のような教育機関は、現代の労働力が必要とする実際的な教育の必要性に率直に応えている。彼らは高度な学問を促進する教育機関であるふりをしない。いくつかの点においてブリッジポート大学もそのような教育機関になりつつある。

 最近、コネチカット大学が、米国の代表的な企業中心地の一つであるコネチカット州スタンフォードに7000万ドルを投資してキヤンパスを開設した。コネチカット州の税金の力による融資を受けたこのキャンパスは、ブリッジポート大学のスタンフォードキャンパスと同じような経営学及び教育学の学位を、比較的少ない費用で提供している。

 それにもかかわらず、ブリッジポート大学のスタンフォードキャンパスの入学者の数は噌加し続けている。その理由は、ブリッジポート大学では2年間のMBA(経営管理学修士号)コースとして、土曜日・日曜日の週末プログラムを提供しているからである。スタンフォード地域の他のどの学校も、そのようなスケジュールを提供しておらず、今後提供する予定もない。しかし、多くの会社の昇進を目指す雇用者たちに対し、ブリッジポート大学は非常に合理的な時間枠で学位を約束する唯一の実行可能なコースを提供している。

4.価値観の挑戦と大学

(1)倫理性が要請される現代の学問
 今後ほとんどの大学で、情報化時代と世界的市場に必要とされる運営上及び教育課程上の調整が行われるであろう。失敗する大学は生き残ることができないか、あるいは立法府の議員たちが財政支援に乗り気でなくなる時に政府の支援に大きく依存せざるを得なくなるだろう。

 しかしながら私が懸念しているのは、大学がもっと深淵な挑戦に対処できなくなるのではないかということである。すなわち、価値観の挑戦である。

 すでに述べたたように、大学は、物質の生産と複雑な人間の社会制度を効果的に組織化するために必要とされる合理的な技術を提供する訓練機関である。しかし、残念ながら、すでに見てきたように、技術や技能は価値的に中立である。その性質から言って、例えば自然科学や哲学、人文科学、さらには宗教さえも学生に価値観や道徳観を持たせることができない。倫理を学ぶことによって、意思決定の倫理的な不明確さをより学術的に理解することはできるかもしれないが、そのような知識が人をより倫理的にするわけではない。

 同様に、どれだけ宗教を学んでも、その人が宗教的になるわけではない。米国の大学において宗教の研究は非常に普及していて人気も高いが、通常それは恩恵的に与えられた聖なる真理の宝庫というよりも、単なる一つの文化的現象として教えられているに過ぎない。州立の大学では宗教はそのように教えられなければならない。しかしながら、宗教団体がスポンサーになっている大学ですらも宗教や神学を教えることによって、学生のより宗教的な傾倒が強まるという保証はない。物理や生物学、数学のような科目であれば、教えられる内容と宗教的傾倒の関連性はより小さくなる。

 言い換えれば、客観的な知識というものは我々に対して、物事がどうなっているかを教えてはくれるが、物事がどうあるべきかを教えることはできないのである。教えることができるのは、もし我々がある結果を得ようする場合にどのような段階を踏まなければならないかということであり、果たしてその結果が我々が達成すべきものかどうかについては教えることができないのである。

 近年ビジネスや医学の大学院においては、カリキュラムにビジネス倫理や医療倫理を加える傾向が生じている。ビジネスや医療に携わる人々は、しばしば倫理的な判断基準が曖昧な状況に直面する。勉学だけで高度に倫理的な感性を高めることはできないが、医療やビジネスに関する知識があれば、与えられた状況において何が問題かを明確にすることは可能である。

 しかしそれが倫理や宗教の学問的研究は、主にそれらを専攻する人々がすればよいということを意味するだろうか。私はそうは思わない。我々が高等教育に何が可能で何が不可能かを明確に知る限り、倫理や世界宗教、芸術史、世界文学などの研究が21世紀の高等教育において重要な役割を果たすことができる大切な理由、また果たすべき大切な理由があることが分かる。

 この論文の最初にハンチントン教授の「文明の衝突」の仮説について触れた。大学がなすことが何であれ、そのような衝突を避けることができるという保証は何もない。しかしまた、自分が属する文明以外の人々の文明についての情報や知識を得ることで、相互の関わり合いにおいて相手をより傷つけないで済むことも事実である。

 現在、世界各地において西洋に対する反感が広がっている一つの理由は、疑いもなくこれまで西洋が非西洋社会、特にかつての植民地に対して抱いてきた文化的優越の態度のゆえである。自分の文明が優れており、その他の文明は劣っているという態度が広まっており、それを克服するのは困難である。

 ある文明が人々の物質的な必要性を満たすことにおいてより良く備わっているのは疑う余地も無いが、それは必ずしも、より繁栄した社会の人々が盲目的に自分の文明を優れていると考える理由にはならない。他の異なる文明に対して、それが異なる環境に対処する人間の別の企てであると見なす方が、はるかに有用である。

 長い間、西洋においては、宗教がアミニズムから多神教、一神教へと進化の過程を辿り、そして一神教の最高の形態としてキリスト教に到達したという考え方があった。この見解に概念的な形を与えたのが、ヘーゲルの「精神現象学」や宗教哲学講演であった。

 教育を受けた日本人や中国人、インド人の圧倒的多数の人々は、たとえそれがキリスト教の形態であろうとユダヤ教の形態であろうと、西洋の一神教が宗教の進化の過程における最高到達点であるという見解に同意しないのは明らかだ。さらに、その中でも近代化された人々は、ほとんどあらゆる分野において西洋に匹敵する能力を見事に示してきた。

 教育の目標の一つは、学生が自分自身及び世界に関して抱いている、未だ検討されていない前提を明確するように彼らを導くことであるべきだ。教育の目的は、自分自身についてより正しく、より謙虚な理解を持つようにすることであり、同時に他人に対してより正しく理解することであるべきだ。

(2)ブリッジポート大学の試み
 ブリッジポート大学において、我々は新たに宗教研究のプログラムを創設した。このプログラムを作る認可をコネチカット州の教育局から得るための議論の中で、私たちはこのプログラムを大学の国際関係部門であるCollege of Nationsの中に設置することを提案した。

 私たちが論じたのは、世界の宗教に関する独断的でなく偏見のない知識を持つことが、世界的市場の時代において世界の諸文明を理解する上で不可欠であるという点であった。宗教が精神的進化の過程であり、西洋の一神教において最高点に到達したと学ぶのではなく、偉大な伝統が持つ客観的な真理に関する問い掛けを一括して考える。一つ一つの宗教を、偉大な文明が持つ歴史、文化、地理的条件の中で生まれたものとして理解させる試みがなされている。

 我々は、学生たちが世界の宗教に対する理解を持つならば、彼らは世界的な市場においてより効果的な働きをすることができると確信する。かつて学生にとって必要なことが、自分の属する伝統的な宗教的義務を理解することだけであった時代もあった。しかしながら、情報やコミュニケーションの革命がもたらされている現代、そのような知識だけでは重要な指導者になるには不十分である。

 同様に、希望する職種が何であれ、倫理の学習、特に比較倫理の学習は、21世紀の学校のカリキュラムにおいて重要である。全ての文明が、あるいはある文明の中の全ての社会階級が同じ価値観を共有しているわけではない。まして世界が、あるいは一つの文明の中の複数のグループであっても、同じ価値観の下に一致するというのも起こり難いことだ。それでもなお、我々が自分たちの価値観が何であるかを知る時、お互いを理解する上で、より良く備えられるのである。

 すでに述べたように、倫理を学んでいるという事実が、その学生の信頼性を保証するわけではない。大学教育に対して可能なこと以上の期待を持つのは賢明ではない。しかし、技術的な専門知識が自分の選ぶ職業に必要とされる度合いに関わらず、人間に動機を与える価値に関しての知識を持つことは、我々が世界と知的に対処していく能力を大いに高めるであろう。

(3)性解放問題と大学の対応
 学生に倫理的かつ道徳的な価値を植え付けるために大学ができることは実に少ないと論じたが、それは大学が学生の価値観に全く関心を持つべきではないという意味であろうか?私は米国以外の国の状況については語ることができないので、米国で起こっているいくつかの出来事に関して述べたい。

 1960年代以降、性革命が発生し大学生活に反映してきた。その性革命のしるしとして、以前は男子校または女子校であった多くの大学が、男女共学へ転換した事実が挙げられる。カリフォルニア州の元男子校であったクラレモント・マケンナ大学などもその一つであった。経済的な必要性もその変化の原因の一部であった。また男女平等を求め、学校と職場における女性差別を終わらせたいという世論の変化も原因の一部であった。

 望ましい女性の避妊方法として受胎調節用のピルが広範に普及したことが、この変化において重要な役割を果たしたという事実も疑う余地がない。女性にとって効果的な避妊が可能となる以前は、性交渉がもたらし得る結果は一方的なものであった。

 未婚のカップルが性行為の後に妊娠すれば、その結果がもつ影響力は男性よりも女性にとってはるかに深刻であった。男性と異なり、女性は自分の体内で起こる結果から逃げることができなかった。未婚の性交渉は男性よりも女性にとって重大な行為であったため、ほとんどの社会で、両親が彼らの行動に責任を持てない時は、性的関係を防ぐための社会的・宗教的な保護手段が講じられた。

 1960年代以降、婚前の貞節などの保護手段がしばしば嘲笑されるようになった。それでもなお、社会の見方としてそれらは完全に機能していた。その保護手段が存在する場所では、子供は責任ある両親のいる家庭に生まれる可能性が高いのである。性革命以前の家庭生活を空想的に描き出すつもりはない。しかしながら、その革命によっていくつかの非常に重要な制度と価値観が危機に晒されてきたことについて触れたい。

 事実上、受胎調節用のピルは男女の活動の場を平等にした。望まない妊娠が起こる確立は劇的に減少し、女性はより婚前の性関係を持とうとするようになった。以前は大学の学生寮は男性のみ、または女性のみに限定されていたが、60年代以降、男女共学制によって、学生寮は学生たちが自由に互いの部屋へ行くことができるようになった。

 当然の結果として、家庭の価値観に強く傾倒している男性や女性の間で、この風潮に強い反発が生じた。多くの親たちは大学に通う年齢になった子供たちを男女混合の学生寮へ送ることを望まず、男女別の入居が可能な学生寮を持ち、学部生の行動をある程度監督してくれる大学を探すのである。

 学生寮を部分的に男女別に分けたり、あるいは現在好きな時に行き来できる学生をある程度監督することによって、大学はこうした親の懸念に応えることができるであろう。入学者の急激な減少を避けるためには、多くの大学においてこのような規律は緩やかに取り戻さなければならない。しかしながら、ひとたび導入されれば、そのような改革は計画されたスケジュールに従って進めることができる。

 私はこれが十代の妊娠や片親の家庭など、全ての問題に対して解決の道を与えるものだと言うつもりはない。ただ、これは家庭の価値観に反する環境を克服する機会を与える上で、適切な環境を提供するために大学が取り得る重要かつ現実的な一歩なのである。幸いブリッジポート大学においては、そのようなプロセスをスタートすることができた。

(4)「文明の協力」と大学の使命
 結論として、ブリッジポート大学におけるその他の発展について、報告させていただきたい。最近の数年間において、宗教は当大学でユニークな役割を果たしてきた。もともとブリッジボート大学は特定の宗派にとらわれない無宗派の大学として認可を受けているが、1989年から91年にかけて、米国の歴史において最も長く厳しい学術的なストライキに耐えなければならなかった。そこに勝者はなかった。

 1980年代初めには10000名の学生が在籍しており、それだけの学生に奉仕することのできるキャンパスと設備を持っていたが、ストライキの結果、学生数は1100名にまで減少した。

 その時に、世界平和教授アカデミーが、ブリッジポート大学の理事の60%を任命する権利と引き換えに、大学認定協会からの許可の下で5050万ドルを提供するという条件で、大学との提携関係を申し出たのであった。この5050万ドルの資金援助は、後に1億1000万ドルにまで引き上げられた。

 数々の交渉を重ね、また訴訟もあったが、1992年にこの提案が受け入れられた。また、ムン・ソンミョン師が創設し、それによって支援されている世界平和教授アカデミーのような団体と単独で建設的な関係を持つよりも、むしろ大学を閉鎖した方が良いという無責任な人々の辛辣な攻撃も受けた。

 このような反対にも関わらず、世界平和教授アカデミーとブリッジポート大学の合意内容は、大学が厳格に無宗派の性格を維持するという条件の下、コネチカット州高等教育局とニューイングランド地域大学認定協会によって認められた。もしその条件に違反するならば、大学は認可を取り消されるのである。

 この合意内容は、過去5年間も誠実に維持されている。ブリッジポート大学は世界の最も偉大な宗教指導者の一人であるムン・ソンミョン師と、師の創設された世界平和教授アカデミーによって存続を保証されている無宗派の大学として、ユニークな例を提供している。様々な学生が学ぶ国際的な性格のゆえに、プロテスタント、カトリック、東方正教会、イスラム教、ヒンズー教、統一教会などの学生グループがキャンパスで活発に活動している。

 このようにして、大学の無宗派的な性格こそが、情報時代において世界から集まっている学生たちの宗教的な必要性に対し、等しくそれを受け入れることができる唯一の適切な手段であることを証明してきた。我々はその業績を誇りに思う。ムン師の支援を得て、我々はハンチントン教授が描いた「文明の衡突」ではなく、むしろ「文明の協力」をもたらすための責任を果たしているのである。
(1999年10月30日発表)