21世紀・日本の生きる道
―国際から地域際へ―

東京外国語大学名誉教授 河部 利夫

 

1.はじめに

 朝鮮半島の分断された国家の問題は、ただ単に南北の分断という枠組みだけで考えていては、現在の世界情勢の中では、狭すぎると考えている。もっと大きな枠組みの中で、見つめる必要があるのではないかと思う。又、朝鮮半島問題については、日本人は他人事のように考えることが多いが、実際にはそうではないといいたい。分断状態が解消しなければ、日本は21世紀に生きていけないという切実な問題が横たわっていることも、忘れてはいけない。

 更に、まもなく21世紀を迎えようとする今日の世界は、国と国との時代、国と国との関係、いわゆる「国際関係」の時代ではなくなってきているという現実を知るべきである。例えば、EU(欧州連合)の現実があげられる。歴史を振返って見ると、あれほどまでに怨讐関係にあった欧州の国々が、一つにまとまり、ユーロという通貨まで誕生した。そのような現象を、世界的に、歴史哲学的に、よく考えてみる必要があると思う。そこで、「国際」から「地域際」へというテーマで、考えてみたい。

2.21世紀は地域主義の時代である

(1)地域協力主義(Regionalism)の事例
 まず最初の例として、EU(欧州連合)があげられる。

「地域主義」というのは、隣接国家同士がまとまった一つの結合の中で、政治、経済その他の協力を行ないつつ、発展していこうという考え方である。かつて、ジャーナリズムの中には、「EUなどの試みはできない」と否定的に論を展開するものがあった。しかし、現実に、欧州では、1957年の欧州経済共同体(EEC)からスタートし、その後67年には、欧州共同体(EC)に発展、さらに拡大して98年からは、26カ国の共同体へと、まとまってきたのである。

 ある現象を捉える時に、それをマイナスに考える人と、プラスに考える人のタイプがある。だいたいジャーナリズムはマイナス論が多い。もちろん、プラスに考えるといっても、極端に観念論的、理想論的になってしまうのもまずい。例えば、「平和、平和」とだけ唱えれば、それで平和が実現すると思っている人たちである。

次の例として、北米自由貿易地域(NAFTA)がある。1994年から、米、カナダ、メキシコを中心として経済的協力関係からスタートしたが、現在ではそれがラテンアメリカまで延びようとしている。今後、メキシコ以南の国々が加わっていくであろうが、まだ混乱が見られる。

 こうした動きを、「21世紀にはまだ統合は無理だ」と見てほしくない。そう言う人に限って、そうした統合が実現した折には、「俺は、当時からそう主張していた」という。このように、まだはっきりと姿を現さないときにこそ、未来に向かって深い洞察をする必要がある。歴史はどのような方向に向かって動いていくのかを、いつも考えているべきであろう。

 東南アジアには、東南アジア諸国連合(ASEAN)が形成されている。これは、1967年に、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピンの5カ国からスタートした。その後、ブルネイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーが加わり、現在では、アセアン10となっている。

 南アジア地域には、南アジア地域協力連合(SAARC)が形成されている。これは1985年12月に、インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、ネパール、ブータン、モルディブの7カ国で、設立されたもの。

 いずれにせよ、このような地域主義の方向に歴史が動こうとしていることを、私は現代史家として高く評価している。

(2)東北アジアの現状
 次に、そのような地域主義の動きが、東北アジアにおいてどのようであるのかを見たい。

 残念ながら東北アジアにはそれができていない。日本、韓国、北朝鮮、極東ロシア、モンゴル、中国(台湾を含む)などの地域には、地域協力主義がない。それぞれは、米国を指向したり、EUを考えているというように、二国間関係で生きていこうとしているのが、現状である。

 なぜ隣国同士の地域協力関係を発展させることができないのか。果たしてこれでいいのであろうか。政界、財界、学界が、地域主義を抜きにして、米国とだけ、中国とだけと言うように、個別関係だけで生きていては、世界の動向とかけ離れた傾向の下にいることになる。反省すべきだと思う。今こそ、環日本海(東海)経済圏が必要な時になっている。

3.新しい国際情勢

(1)「国際」とは何か?
 まず「国際」の意味について考えてみる。
「際」と言うことばは、もともと中国語の原義では、「山と山との出合い」と言う意味である。山と山の間には「谷」がある。ゆえに、国際とは、全く違った文化集団(異文化集団)の対置している姿である。下図(省略)のように、外国と日本の間に、社会間距離(谷間の意味)というのがあるが、この谷間を埋めることを「国際的」と言っている。

 例えば、「あの人は国際的な人だ」と言った場合に、ベレー帽でもかぶって英語やフランス語をしゃべり、世界中を飛んで歩いている人を想像するが、それは間違いである。本当の国際人というのは、まず日本人である「私」を確立して、そして異文化集団の向こうの国との対置の中から対話が生じてくる。そのとき、社会間距離があることを見つめる必要がある。

そして、それらの上部概念として、超国家的普遍的理念を考えて、これによって国々がまとまるという考え方には、私はかねがね反対している。例えば、終戦後ソ連と中国は、マルクス・レーニン主義のもとに最初は協調していたが、やがて2年で不倶戴天の関係になってしまった。

(2)文化
 国際というのは、異文化集団の対置を指しているが、ここで「文化」について考えておく必要がある。

 文化というと、源氏物語、歌舞伎、宗教、思想、哲学、芸術等というようなとらえ方がよくなされている。それは文化の一部だと私は考えている。現代における文化の正しい定義は、「民族の生きざま(Way of Life)」と考えている。あるいは、アイデンティティー、「らしさ」とも言える。「日本らしさ」が日本のアイデンティティーである。それぞれに「何々らしさ」があり、それらは互いに違っている。そうした違う文化の谷間に、離れた距離をつづめ、谷間に橋を架けることが、国際における一つの大きな課題である。

 太陽の色は、日本では「赤」となっているが、世界中どこでもそうだとは限らない。例えば、中国では、太陽の色を白で描いている。台湾の中華民国の国旗は、青天白日旗。青い空に、白い太陽で象徴している。米国や、フランス、英国など欧米では、黄色又はオレンジ色で描いている。このように文化は、地域、民族によって違っている。

 この違う異文化集団の中で、どうやったらそれぞれが理解し合うことができるか。その方法がコミュニケーションである。コミュニケーションというのは、前に示した図表にあるCとC’で、「共通」の発見である。共通がある場合と、ない場合があるが、共通がない場合は、それを新たに創造すればよい。コミュニケーションのcomは、common、共通、共通化ということがコミュニケーションの意味である。

(3)ナショナリズムの終焉と新しい概念
 いまや、単一のナショナリズム(nationalism)の時代は終わったと考えていいと思う。確かに現在でも、神聖な利己主義としてナショナリズムは、世界中がお互いに認め合っている。そこに国際連盟や、戦後の国際連合ができた。しかし今や、ヨーロッパにEUができ、東南アジアにアセアン(ASEAN)が出来てくると、国同士の関係だけには限界が出来てくる。それぞれの地域が互いに交流し合うという時代に入ってきた。

 1989年12月、マルタで米国のブッシュ大統領と旧ソ連のゴルバチョフ書記長が会談してから後、新しい二つの傾向が現れ始めた。この二人の会談の意味は、冷戦構造が終焉したということである。

 新しい傾向の一つは、地球主義(グローバリズムglobalism)である。これは、国境のないボーダーレス(borderless)の状態を意味する。金融問題、環境問題などは、既にそのような時代に入って動いている。

もう一つが、地域主義(regionalism)の傾向が進行したことである。国際主義時代は、血縁集団の対置の時代とも言える。しかしこれからは、隣接国家による地域主義の傾向が進行するということは、「地縁関係の時代」だと言える。

4.日本の生きる路

(1)日本にとっての地域主義
 私自身、1989年から環日本海の6カ国(地域)の人々と、そうした地域主義の問題で取り組んできたが、こと日本人に東アジアの地域協力のことを話すとまずだめだ。例えば、ソ連(ロシア)の話をすると、ソ連アレルギーで全く進まない。また、北朝鮮の話もだめ、韓国のことに触れても、日本人の韓国に対する冷淡さのためかうまくいかない。かつてのように、ナショナリズムの時代であればそれでよかったかもしれないが、これから日本が生きるためには、それではすまされない。

 日本は今までの国際化時代においては、南方へ、南方へと展開して行った(「図南」、中国荘子の逍遥編由来)。北方は皆敵対国家であったためである。しかしこれからは、東北アジア、即ち韓国、北朝鮮、極東ロシア、モンゴル、中国東北部などと手を結んでいくこと、すなわち私は「図北」を考えてみたい。

(2)敗戦後の日本の発展
 日本が今まで発展してこられた背景には、東南アジア諸国や米国との貿易が大部分の経済発展を支えてきた。日本の経済発展の背景には、戦争があった。例えば、朝鮮戦争。このおかげで日本経済は復興した。次が、ベトナム戦争、アフガン戦争、というように、戦争のたびに日本は世界の工場になり、経済復興を遂げることができたのであった。

 その後、日本が一番の貿易相手としてきたASEAN諸国が経済発展によって工業国化してきたために、自主的選択外交をとるようになってきている。ASEAN諸国にとって、かつては日本だけを向いていたが、今では日本のみではなくなってきた。EUといっしょにASEAM(アジア欧州首脳会議)を形成したために、さかんにEUが乗り出してくるようになった。今や、日本はone of themになってしまった。米国、EU、中国、日本という状況になった。

(3)日本経済の国際化の必然性
日本経済は、歴史上いつも国際化することが、必然的であった。これは20世紀において日本が生きるために不可避な道であった。それはなぜか。

 まず、日本は資源のない国であるためであった。例えば、農産物で言えば、トウモロコシは輸入が99.9%を占めている。「天ぷらそば」を食べる時、メイドインジャパンは水だけだ。あとはすべて輸入品である。

 欧米先進諸国はみな文明国家であるが、日本人は文明国家は農業がないと思っているけれども、そうではない。フランスでもパリを抜けると、あとは麦畑が続いている。ロンドンも同様である。外国人が日本に来て、東京から大阪に新幹線で行く時に、窓の外を眺めるとずっと家だらけなのにびっくりしている。一体どこに田畑があるのかと疑問に思っている。

 穀類の自給率を見ると(下図参照(省略))、オーストラリアは256%、EUでも102%。ロシアですら71%。何故カンボジアが滅びないのか。それはいくらでも米ができる。なぜベトナムの経済発展が可能なのか。それは米ができるからである。東南アジアは貧しい。しかし飢えがない。機械化文明は少ないけれども、飢えがない。 

 日本には、「自動車を売ってパンを買う」と言うことばがある。工業製品の生産は世界有数の国であるが、食料生産は、先進国の中で最低であるばかりか、開発途上国にも劣る。

 日本の自給率は、ここ10年来30%ないしは、それ以下であった。この率は、先進諸国のみならず、発展途上国にも劣るものである。 バングラデシュですら70%の自給率。日本は、外見は立派な先進国家であるが、もし米国と北朝鮮の関係が悪化して、軍艦でも出動する事態になれば、日本に穀類は輸入できなくなってしまう。オイルショックの時は大変であった。

 このような状況にありながらも、減反だと未だに叫んでいる日本の農政である。100%とは言わないまでも、穀類の自給率を高め、少なくとも50%は維持したいところである。

 人間の生きる基本は食うことである。食うことの原点には、米塩に事欠かないということばが中国にある。これだけできていれば生きていける。私が最近自給率の低い日本について考えていることは、穀類と燃料は、ただにすればいいということである。

5.東北アジア経済共同体の形成(NEAEC)

 東北アジアのことを考えてみよう。いわゆる環日本海(韓国、北朝鮮の東海)経済圏のことである。東北アジア経済共同体というものを考えてはどうか。そのような地域協力主義の時代を作っていってはどうか。ちょうどEUができる前に、最初に欧州経済共同体があったのと同じようにである。

 日本の21世紀に向けての生命圏(Vital Area)、生きる場を考える必要がある。それは、東北アジア6カ国(地域)の協力の中にあるのではないかと思う。そのような場作りの中で、東北アジアの国々も、経済発展をするために、更には生きていくためには、一国だけで、あるいは二国間だけの協力だけではなく、広く東北アジア6カ国の経済協力をやることが必要ではないかと私は考えてきた。そして1989年以来それらの国の人々と共に考えつつ、「東北アジア経済協力協会」を作り、毎年話し合いを進めてきた。残念ながら、この時に一番の障害が朝鮮半島の分断問題であった。

 ソウルで開催する時に、北朝鮮は来ない。日本で開催する時には、国交がないがきてくれる。北京でやる時は、北朝鮮は堂々と出てくる。実際にそれぞれの国の人々が会ってみると、段々打ち解けてきて、北と南の人たちが涙しながら話し合って、最後に一緒に歌を歌う場面になる。

 5年にわたり、「コリア平和美術展」の実行委員長を務めているが、そこには北と南の画家の絵が陳列されている。初め私は北の絵画はイデオロギー色が強いものではないかと思っていたが、そんなことはない。むしろ日本画を見るような思いがした。その展覧する絵には38度線がない。そこには民団と朝総連の人がともに参加している。レセプションの場では、それらの人々の間に38度線がなくなりつつあるのを実感している。

さらに、かつてドイツの統一、ベトナムの統一などを見てくると、私の歴史家としての実地体験として、危機的状況が民衆の平和志向の心によって払拭されていくことを感じざるを得ない。歴史において、民衆の力がいつも大きいということを感じる。

6.東北アジア共同体の要点

 東北アジア経済共同体を考える場合に、どのように考えていけばよいか。
 まず協力体(association)を作り、それを発展させ、それが共同体(community)になっていけばいいのではないか。利益がお互いに共するような社会、本当に生きる共同社会ができればと思う。

(1)「ある」共通性
 協力体を考える上で必要なことは、どのような共通があるかということを考えなければいけない。現在においても共通し得るもの(「ある」共通性)を追究すればよい。

@稲作文化
 アジアの人々と話し合う時に、一番理解しておくべきことは、米の文化という共通性である。アジアは、一般に米を食べる文化といえる。稲作文化は中国雲南省やインドのアッサム地方から各地に伝播して、日本やアジアの基盤社会が出来上がった。このような現実を互いによく認識しておく必要がある。

 かつて外米の輸入について議論が沸騰した時、ある代議士は「米は日本の文化だ」と言っていた。しかし米は、中国の西南地方にある雲南省、インド東部にあるアッサム地方などの約2000mの亜熱帯高原地帯に原生したものである。1700mを境にして、それより上にできる米が、短粒のねばねばした餅性のある「ジャポニカ米」。それ以下にできた米が、長粒のパサパサした「インディカ米」である。これらは自然の風土の中から違いが出てきたものである。雲南省では、両方ができる。雲南地方は稲作文化の源流である。日本の稲作文化の原型がそこに見られる。

 米は熱帯産、亜熱帯産であるにもかかわらず、日本における米の品質改良によって寒い地方でもできるようになった。今では、むしろ寒い地方の米のほうがおいしいくらいだ。また中国の東北地方にも、米が栽培されている。
アジア地域には、稲作にまつわる儀礼、儀式など非常に共通するものが多くある。

A騎馬民族文化
 次にあげられるのは、騎馬民族文化である。
アジア乾燥地帯における遊牧騎馬民族と、それぞれの土着豪族勢力とが連合して、韓国や日本の古代国家が形成された。これらは、上なる支配社会を形成することとなった。そして彼らは、農民を支配するようになった。

B中国古典文化
 また、「中国古典文化」(漢字、儒教、仏教)というものも、共通性としてあげることができる。

「日本には何かオリジナルなものはないのか」と、よく留学生に聞かれるが、それに対して私は、「ない」と答えている。日本には、中国や朝鮮半島を通ってほとんどの文物がやってきた。しかし日本はもらったものをいつも発展させて、自家薬籠中のものにして、もっとよいものにしてしまう。他人の文化を入れても発展させる。日本文化は外来文化を取り入れて、それらを創造的に発展させてきたが、そこにこそ日本のよさがあるのではないかと思う。

 中国古典文化は、朝鮮半島を経由して大半日本に来ているが、この事実を認めたがらない人が日本にはけっこういる。そして彼らは、「中国から直接文化が日本に来た」と主張する。陶芸、仏教、漢字など見ても、殆ど朝鮮半島経由であることは明確である。

(2)「つくる」共通性
 それでは共通するものがない場合は、どうするのか。その場合は、相手がもっているものと、自分がもっているものとを、掛け合わせながら第三の文化をつくるのが創造である。

 好例を挙げると、明治7年に銀座の木村屋がアンパンを作った。あんこは、アジア文化。一方パンはヨーロッパ文化。パンであんこを包んでアンパン。その第一号作品を、明治天皇にさし上げ、天皇が非常においしいと言われ、それを機に広がったと言われる。今やアンパンは、パリやニューヨーク、ロンドン、ドイツなど各地で、ひとつの文化として広がっている。

 このように第三の文化を創ることを「文化融合」(アッカルチュレーション、Acculturation)と言っている。こうした形で国際におけるコミュニケーションができるようになる。

 東北アジア地域において、「つくる」共通性として何が考えられるであろうか。

@「東北アジアフォーラム・センター」の設立
 東北6カ国の青年たちによる、集合の自由談論の場をつくり、相互理解を進める。将来は、地域開発の大学つくりを構想したいところである。

A「東北アジア友情鉄道」の開発
 私がかねがね考えていることの一つに、東北アジア地域に鉄道網を整備してはどうかということがある。すなわち、「東北アジア友情鉄道」を作るという提案である。新たに線路などを新設する必要はない。既にあるものを活用すればよく、それを整備すればよい。そして、特に関心をよせているのは「日韓トンネル」の建設である。このことをある年の「東北アジア経済協力協会」の会議で話したことがあったが、「それは夢みたいな話だ」と言われた。「しかし、数年前に英仏海峡に鉄道が開通したではないか」と反論した。青函トンネルも、素晴らしい日本の技術力の産物である。

 これは国際的公共事業になる。この列車ができると、「東京発ロンドン行」や、「東京発バルセロナ行」列車が可能となる。日韓トンネルの費用は約20兆円と言われているが、日本では銀行の再建に何十兆円も投入していることを考えれば、十分可能な投資額と言える。こうした企画は、まさに南北分断情勢を打破し、平和共存の時代を作る生産的課題と言えるのではなかろうか。

 かつて西独と東独が対立していた時代に、西ドイツから東の西ベルリンに行く時、鉄道はずっと続いていた。東西ドイツは、紳士協約を結んでそうしていた。戦争をやっていても、この鉄道だけは守ろうと言う考えを持っていた。これこそ素晴らしい叡智といえる。このような考えをどうしてアジア人は、もてないのか。鉄道だけは、戦争などの非常事態があっても手をつけないと言う紳士協約がどうしてできないのか。

 このような広い心をもって取り組み、共同体の形成に向けて一歩ずつ進めていくことを願っている。

(本稿は平成11年4月17日、名古屋市における第16回アカデミーフォーラムの講演の速記録に加筆訂正したものである)