ディプログラミング

心理学者・精神科医 リー・コールマン

 

■米国が犯した間違い

 まず最初に、簡潔に米国がこれまで犯してきた間違いについて説明したいと思います。それを皆さんが聞いていただくことで、願わくば必要なことを日本でやっていただきたい。そして日本が米国の間違いを繰り返さなくて済むようにしていただきたいと思います。

こうしたことに対して、しばしばスペインのある哲学者の言葉が引用されます。それは「過去を忘れようとする者は、その間違いを繰り返す運命にある」という言葉です。私は、たとえ皆さんが歴史を無視しようとしても、歴史は皆さんを無視することはない、と申し上げたいと思います。歴史の力は働き続け、回り続けます。ですから皆さんが過去の出来事に対して無知であり、それに対して働きかけて変えることをしなければ、やがては皆さんがその犠牲者となることでしょう。

 私は、1960〜70年代に米国で起りはじめ、そして今なお世界各地で続いている過ちについて話したいと思います。これは60年代の後半のことで、テッド・パトリックという人物の甥が、南カリフォルニアのあるグループと関わりを持っていました。そのグループの名前は「神の子供たち(Children of God)」と言いました。彼はその甥のことで非常に当惑しました。

 彼はそのうち、当時未成年者だった自分の甥をそのグループから取り戻そうと思うようになりました。そして彼は自分のやっていることを話し始めました。この男は別に学者ではなく、優秀な学位を持っているわけでもありませんでしたが、自分の目的をまっとうする上で非常に良いことを思いついたのです。彼は自分のやっていることを「ディプログラミング」と呼びました。

 彼のやったことが何かと言えば、それは人を誘拐して強制的に監禁するという犯罪でした。これはどこにおいても犯罪であり、法に反する行為です。もし誰かが成人を本人の意思に反して連れ去ったとすれば、それは誘拐であり、もしその人を本人の意思に反して拘束したとすれば、それは不法監禁です。これらはどちらも深刻な犯罪です。

 しかし、彼はこれら二つの犯罪に「ディプログラミング」という名前をつけることにより、いろいろな人の支持を得ることができるようになりました。そして何百万という人々の関心を他のところへ移すことにより、彼らを欺くことができるようになったのです。人々は彼のしていることを犯罪とはみなしませんでした。彼はそれを「ディプログラミング」と呼びました。それは何を意味するかと言えば、「私はすでにプログラムされてしまった人を、どこか他の所へ連れて行って、そのプログラムを外すのだ」というのです。つまり「私は何も悪いことはやっていないし、犯罪も犯していない。彼をプログラムした人が悪い奴であり、犯罪者であって、私はそのプログラムを解くわけだから、正しいことをやっているんだ」というわけです。「私は害を取り除いているのだ」というのです。

 ではその害とは何なのかというと、その人の心が盗まれてしまっていることだと言います。彼は『子供たちに自由を(Let Our Children Go)』という本を書きましたが、彼の言うプログラムされた人々というのは、実際には子供ではありませんでした。私は皆さんに是非この本を読んでいただきたいと思います。ただこの「子供たち」というのは、実際には子供ではなく成人でした。と言いますのは当然のことながら、本当に子供であれば、彼らを誘拐する必要はありませんでした。自分の子供であれば、もちろん法的に自分の管理下にあるのですから、何か問題があれば警察を呼ぶこともできます。ですから、彼が何をやったかというと、大人を拉致し監禁したのでした。しかも「ディプログラミング」という言葉を使うことによって、あたかも心を牢獄に閉じ込められてしまった人々を解放しているかのような印象を人々に与えました。

 皆さんの地域社会および国が必要としているのは、こうした背景について学ぶということです。そうしたことを学べば、こうした言葉に騙されないように人々に教えることができます。皆さんは正しい言葉を学び、それを他の人々に教えなければなりません。すなわち誰かが物理的に連れ去られたとすれば、それは「誘拐」または「拉致」と呼ばれなければなりません。そして誘拐者を非難しなければなりません。そして彼らを裁判にかけなければなりません。

 あまりにも多くの場合、新宗教団体のメンバーたちは、自分たちは人々を洗脳していないし、監禁もしていないということを説明することだけに多くの時間を費やしてしまっています。もちろん彼らはこうしたことをやっていないわけですが、彼らに欠けていることは、自分たちを攻撃してくる人々に対して何の手段も講じていないということです。彼らは、自分たちを非難する人々は誘拐者であり、法を犯している犯罪者なのだということをもっと主張すべきです。

■マスコミや警察も騙される

 こうした不正な監禁が始まったとき、私はその場面をテレビで見たのを覚えています。これは「ディプログラミング」というような言葉が、社会全体にどれほど大きな影響を与えるかを如実に示すものです。

 実はテッド・パトリックは、テレビ局に自分がこれからやろうとしていることを知らせました。そしてテレビ局はこれから起ころうとしていることがいかに良いことであるかを、すべての人に見せたいと思ったのです。彼らがある人を拉致し、その人をモーテルの部屋に連れ込もうとしたとき、そこにはすでにテレビカメラが待ち構えていました。そこで彼らはその人を何日間か監禁し、その人がそこから出たいがためにテッド・パトリックの言うことに従うようになるまで、その人を殴ったりしました。この様子は全米に放映され、すべての人がテッド・パトリックを英雄とみなしました。彼は何百万人という米国人から英雄視されただけでなく、警察などさまざまな人々の協力を得るようになりました。時には警察は彼の手助けをしました。ほとんどの場合、実は警察は手助けをするべきではなく、むしろその逆をすべきでありました。しかし彼らはテッド・パトリックの言葉のトリックに騙されてしまったのです。テッド・パトリックが彼らは子供だと言ったために、実際には成人であるにも関わらず、警察は、被害者は子供だと思い込んでしまいました。そしてさらに、彼らは心を盗まれているのだから、まずその体を奪い返してから心を取り戻してあげなければならない、というテッド・パトリックの言葉にすっかり騙されてしまいました。

 このようなことをしたのは、警察だけではありません。米国の警察は基本的に地方組織であり、全国的な組織としてはFBIがありますが、このFBIは本来ならば地方警察の管轄内にある小さな事件は扱いません。しかしこのFBIでさえも、テッド・パトリックの手助けをしていたし、少なくとも非常に彼に同情的でした。裁判所も裁判官も同様であり、ラジオ、テレビ、新聞といったメディアも、テッド・パトリックに共鳴していました。

 彼らはこうした犯罪をあたかも良いことのように主張し、そして私やマロニー氏、ガットマン氏をあたかも悪者のように言いふらしました。私は「カルトを擁護する人物」と言われました。こうした闘いは本当に厳しいもので、いったい誰が本当の犯罪者なのかを、人々によく分からせることができたとはまだ言えません。ディプログラマーたちは当初成功をおさめていましたが、そのうちにこうした犯罪者たちは自分たちのやっていることをもっとうまく正当化する必要が出てきました。テッド・パトリックが言うような、「これはディプログラミングであるから、彼らの体を奪って、心を解放してあげなければならない」というような主張は、長く続くはずがないからです。

 そこで何をしたかというと、長年にわたって権威を保てるように専門家を取り込もうとしたのです。日本の場合はどうか分かりませんが、米国の場合は、現代社会の難しい社会的・道徳的問題を解決するときに最も信頼されるのは誰かと言えば、それは疑いなく精神科医であり、その他の精神衛生の専門家と呼ばれる人々です。というのは、彼らは科学に基づいた専門家だからです。そこでディプログラミングを行う運動家は、彼らの犯罪を正当化するために、少数派ではありますが非常に影響力のあるグループである精神科医や精神衛生の専門家たちを取り込むことを考えるようになりました。これがマーガレット・シンガーに代表される人々です。

 彼らがしたことが何であるかと言えば、まずテッド・パトリックが始めた「ディプログラミング」と呼ばれるものを取り上げて、米国の俗語で「トータル・クラップ」あるいは「トータル・ナンセンス」と呼ばれる一連の考えを構築しました。これはパトリックが言っていることと比べてもとりたてて高度な内容ではありませんが、彼らはもう一つの専門用語を作り出しました。それが「マインド・コントロール」というものです。

つまりたとえばある人間が新宗教のメンバーであるとします。これは別に宗教でなくても、政治的なグループでもよく、要するに誰かが嫌いなグループであれば何でもいいのですが、このマインド・コントロールという新しい考え方によれば、たとえある人が自分の自由意思でそのグループに参加し、そのグループで活動を続けたいと言ったとしても、そしてその人が自分自身で選択したのであると言ったとしても、それはマインド・コントロールがいかに効果的であるかを証明することにしかならない、というのです。つまり、マインド・コントロールは非常に効果的だから自分の意思で参加したのだと言ってしまうんだという主張です。

 私がテレビの番組などでよく見たのは、「私の息子・娘が洗脳されていないということを納得するのは、その子がそのグループを離れたときだけだ」と何人もの親が言っている場面でした。彼らがグループを離れないのは、ひとえに自分たちの自由な意思がない、つまり洗脳されてしまっているんだというのです。彼らは自分で選択したと思い込んでいるのだが、それはその宗教グループが巧みに操作したからなのだというわけです。

■「合法的なディプログラミング」

 そして、ひとたびこうした運動が自分たちの犯罪を正当化し、それが続いていきますと、新たに多くの精神科医がそこに加わって、それによってより洗練された新しい戦略が練られるようになっていきました。つまり同じことをするにも、もっと見た目がよい方法を考え出すようになりました。物理的に誰かを拉致するということは法に違反することであり、それは誘拐にほかならないのではないかということに人々は気づき始めたので、新しいアイデアを出し始めました。

それは「合法的なディプログラミング」というものです。これは言ってみれば、本来ならば許されないことに対して、「合法的なディプログラミング」という言葉を使って正当化したのです。それが具体的に何を意味するかというと、精神科医が手紙を書かせて、「私の意見では、この人物は自分で選択する能力がもう失われている」と言わせるのです。これも同じようにナンセンスなわけですが、きちんとした文書になっているのです。ジョー・スミス博士や、マーガレット・シンガー博士が、「私の意見では、この人物はグループの中にいる限り自分で選択する真の能力が失われている」という手紙を書いたのです。そうしますと判事はこの手紙を見て、そうした精神科医が実際にその人と面接して精神的な検査をしていなくても、そうした手紙を書かれるだけで、その意見を受け入れてしまいます。つまり精神科医が専門家の意見として出しただけで、法廷でそれが取り入れられてしまうのです。

 彼らはこれを「合法的なディプログラミング」と呼んでいますが、多くの米国の州法では、これを「保護観察権」(conservatorship)と呼んでおります。

 非常に希な状況ではありますが、個人が肉体的障害や精神的な欠陥のゆえに、自分のニーズというものを満たすだけの能力を本当に持っていない場合には、裁判所が誰かを保護者として指名するということもあります。この場合はそうではありません。彼らが取るもう一つの方法は、本人の意思に反して精神病院に入れてしまうという手法です。なぜなら法律によって、もし医師が本当に必要であると認めた場合には、人を精神病院に入れることが許されているからです。この問題も私が時間をかけて取り組んでいる問題の一つですが、今日はお話しません。

 彼らが思いついたもう一つの戦略は、個人としてのメンバーを追いかけるのはやめて、教会全体を追い詰めようではないか、ということでした。つまり、教会を訴えようという戦略です。そして彼らはすべての人を洗脳しているのだと主張しました。そのグループのメンバー全員がマインド・コントロールの犠牲者だと主張しました。いくつかの裁判で、こうした戦略は成功しました。しかし高等裁判所で一つ一つのケースを調査していくと、実はこれがナンセンスだったということが発覚し、次から次へと否定する判決が出されていきました。彼らは、ある回心はよくて別の回心はだめだというような判決を出すことはできず、少なくとも精神科医の証言からはそのような判断はできないと言ったのです。

 そうするとディプログラマーたちは次の手を打ってきました。それは、人々がグループに入ってしまってから脱会させようとするのではなくて、彼らがグループに入ろうとするときに、何らかの評価を行おうというものです。すなわちそれは、彼らを連れて行って精神科医に診察させて、テストをしようということです。「回心をしたという人々が、本当にそうしたかったから回心したのならそれでよい。彼らを失うことは惜しいことだがしかたがない。しかし彼らが自分の自由意思を失うことによって回心したのなら、その場合にはその人々は必ず脱会させられるべきである」と彼らは主張しました。これもまた、精神医学や心理学というものを隠れ蓑にした完全な欺瞞です。

 皆さんの住んでおられる地域においても、将来このようなことがあると思います。皆さんの地域で社会的な認知を受けていない宗教団体や政治団体が物議を醸し出したとします。そうすると遅かれ早かれ精神衛生の専門家が介入してきて、誰かの主張を正当化するようになります。そういうことに対して、皆さんは警戒して欲しいと思います。

■警戒すべき新たな動き

 最後に、私が過去十四年間にわたって調査してきた新しい脅威について簡単に話したいと思います。私の知る限りでは、これは新宗教グループを攻撃する際に常に使われる手法ではありませんが、もうすぐそこまで来ている一つの警戒すべき動きです。ですから皆さんはこれについて知らなければなりません。これは米国内において、またいくつかの英語圏の国々において、急速に広がっています。米国には、児童虐待の告発について評価するシステムがありますが、これが完全に機能不全に陥っています。米国では何千人という全くの無実の人々が児童虐待、とりわけ性的虐待の罪で有罪判決を受けています。この児童虐待の告発というものは、離婚訴訟や子供の養育権をめぐる訴訟が起こったときに、即座に主導権を握り、優位に立つことができる武器として使用されるのです。

 このシステムがなぜ危険かというと、まず第一に、3〜4歳の子供であろうと青少年であろうと、彼らは密室の中で政府の職員、社会福祉活動家、そして警察官などによってしつこく尋問されます。そこで子供たちが実際に何を語ったのかは、誰にも分かりません。そして彼らは子供たちに対して、「誰かが君に何かしただろう。われわれはちゃんと知っているんだ。それを言いなさい。それを言うことが君のためになるんだからね」というような言い方で、しつこく尋ねるのです。

 この会議におきましては、共産主義の崩壊ということに関して歓迎している人も多いことと思います。しかし私は共産主義圏の中で、国家の権力を使って小さな子供に対してしつこくそうした質問を投げかけ、最後には「ああそうだ、私は親に性的虐待を受けたんだ」と言うまで何度も何度も質問責めにする、そしてその結果として、その子と親を引き離して、親が終身刑になる、というようなことが行われている国を見たことがありません。しかしこうしたことが今、米国で起こっているのです。私はこれは将来皆さんが所属しているグループを待ち受けている非常に危険な武器であると思っております。皆さんもやはり、そうしたことについて警戒すべきです。過去において行われたことを学ぶだけでなく、こうした新しいことを学び、地域社会を教育するための準備を行ってください。そうすることによって、皆さんが米国ほど多くのミスを犯さないようにしていただきたいと思うのです。ありがとうございました。

(1998年5月24日、「新しい世紀と宗教の自由」日本会議において発表)