宗教の自由と新世界秩序

青山学院大学名誉教授 入江 通雅

 

■アメリカの世紀

 今は、「アメリカの世紀」である。第二次世界大戦における連合国、実質的にはアメリカの勝利により、アメリカの国家価値が、その世界一の経済力、核を含む世界一の軍事力を背景として、戦後世界を方向づけた。それは、国連憲章や世界人権宣言など基本的な国際条約ないし国際文書に埋め込まれ、戦後世界の指導理念となって、今日までの戦後世界を築いてきたのである。

 アメリカが中心となって作った国連の国連憲章は、その冒頭部分で、「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権に関する信念を改めて確認し」(前文)と基本的人権、人間の尊厳を強調している。

 [ついでながら、国連憲章は「人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎を置く諸国家間の友好関係を発展させるために」(第1条)などと、民族の同権や民族自決権という国際秩序原則を打ち出している。かつて国際連盟規約制定に当たっては、アジア唯一の先進国として日本が1919年2月13日、国際連盟規約に人種差別撤廃条項を入れるよう提案したのだが、それは欧米の反対で葬り去られた。それが第二次大戦を経て、「民族同権」の原則という形で、戦後の国際秩序原則として国連憲章の中に採り入れられたのである。これが大西洋憲章で宣言され、ヤルタ・コミュニケでも再確認された意味での「民族自決」原則とともに、後に植民地独立を推進する重要な国連原則となって行った。]

 国連発足後間もない1948年12月10日、国連総会で賛成48、反対0、棄権8(ソ連など共産圏6、南ア、サウジ)で採択された「世界人権宣言」は、エレノア・ルーズベルト夫人が指導力を発揮して練り上げた格調高い人権宣言である。

 「人間が言論及び信仰の自由と恐怖及び欠乏からの自由を享有する世界の出現は一般の人々の最高の願望」(前文)、「何人も、思想、良心及び宗教の自由を享有する権利を有す」(第18条)、「何人も、意見及び発表の自由を享有する権利を有す。この権利は、あらゆる手段によって且つ国境にかかわらず、情報及び思想を求め、受け且つ伝える自由を含む」(第19条)、「何人も、平和的な集会及び結社の自由を享有する権利を有す」(第20条)、「何人も、直接に、又は自由に選出される代表者を通じて、自国の統治に参与する権利を有す」(第21条)」

 このように自由・人権・民主主義の栄える世界を目指すアメリカその他西欧と、自由・人権・民主主義の抑圧・否定の上にしか成り立ち得ない「共産党一党独裁の国家社会システム」をとり、それゆえに共産主義者として米欧を危険視し、しかも共産支配の拡大さえ目指すソ連などの共産主義国とが、戦後直ぐ、冷戦という形で、国連の内外で次第にその本質的相互否定性を顕在化させて行ったのは当然だった。

 国連の集団安全保障による平和維持という、国連にかけた米国の戦後世界の平和維持の構想も、冷戦の中で長く機能麻痺の状態に陥っていた。しかし、冷戦終結に向けての米ソ対話が進みつつあったブッシュ大統領の時代、突如起こったイラクの公然たるクウエート侵略を前にして、国連安保理が軍事的強制行動権限付与の決議を行い、米国など多国籍軍がその決議による安保理からの授権に応えて、実際に軍事的強制行動を実施し、侵略を排除し平和回復の実を挙げた。ブッシュ大統領はこれを以て、国連の集団安全保障という各国の共働努力で平和が守られる「新世界秩序」の時代が到来したもの、と高く評価、将来への明るい期待を表明したのである。

 そのころ自ら盛んに使った「新世界秩序」という言葉について、ブッシュ大統領は、91年2月4日、「平和と安全、自由、法の支配の実現に諸国家が共働するような世界秩序」と定義している。 さらに91年4月22日には「われわれをアメリカたらしめているのは、領土でも血の結びつきでもなく、どこであれすべての人間は自由でなければならない、との信念である。この信念は米国の建国以来の永続的なものであり、深く根ざしていて、独立宣言の言葉に内在している全世界への約束でもある。われわれが迎えようとしている新しい世界は、この自由の約束を現実へと解き放つ世界である」とも言っており、「新世界秩序」が建国以来の米国の(自由の)理念を反映した世界であることをも明確にしている。

 国連の行動としての湾岸戦争で侵略を排除し、東欧ソ連を自由化民主化して冷戦を終結させたブッシュ大統領が1990年9月以来使った「新世界秩序」というのは、要するに、国連の集団安全保障で平和を維持し、自由、人権、民主主義、法の支配、市場経済という共通の基盤の上で、諸国家が相協力する、新しい一つの世界(冷戦時の二つの世界に代って出現しつつある一つの世界)のことである。

 実際、ブッシュ大統領は、東欧ソ連の自由化民主化を巧みに誘導し、遂に1991年12月にはソ連そのものを消滅させて、冷戦に決定的勝利をおさめた。以来今日、アメリカは、唯一の超大国として、アメリカの理念、自由・人権・民主主義とともに、世界に君臨するに至っている。そして、たとえ万一、近くアメリカ経済のバブルが弾けるようなことがあったとしても、またやがて立ち直り、二十一世紀をも「アメリカの世紀」として、アメリカの理念で世界をリードし続けるだろう。

■自由人権の楔

 アメリカは、冷戦初期から共産圏の自由化、民主化という一貫した長期戦略目標を持って、対ソ政策を展開、1975年に自由人権の尊重を謳った「ヘルシンキ協定」に東欧・ソ連を引き込み、この協定を足掛かりに多年、地道な努力を重ね、最後に、レーガンとの軍拡競争で経済的破綻を加速されたソ連を、援助を餌にブッシュが巧みに誘導して、遂に1989年、90年の東欧自由化、91年のソ連解体にまで、一気に導いたのである。

 共産圏に自由人権の楔を打ち込んだ最初の国際文書は、1975年のCSCE35カ国の「ヘルシンキ協定」(CSCE:Final Act,Helsinki,1975)である。この「ヘルシンキ協定」には、いずれの共産国の憲法にも言及さえされていない思想の自由を含め、「思想・良心・宗教・信条の自由を含む人権や基本的自由の尊重」が謳われている。ヘルシンキ協定の自由人権条項に盛られている理想を、生きた現実にするための努力において、先駆者的役割を果たしたソ連反体制派サハロフ博士に、1975年10月、ノーベル平和賞が与えられた。

 ブッシュ大統領は、ペレストロイカ、グラスノスチ、デモクラチザチア、ノーボエ・ミシュレーニエを唱え出したゴルバチョフに、対ソ大型技術資金援助の条件として、自由人権・民主主義の導入、国連集団安保への協力、市場経済への移行などを次々に要求し、その受諾を迫っていった。東欧はもとよりソ連のゴルバチョフも、1990年11月21日には、CSCEの「新ヨーロッパのためのパリ憲章」に調印した。この「パリ憲章」は、「思想、良心、宗教又は信仰の自由」「表現の自由」「結社及び平和的集会の自由」「移動の自由」などの自由人権を「人間の生得的な不可譲の権利」と宣言した上で、「それら自由人権の擁護・推進が政府の最大の責務である」としている。共産国ソ連のゴルバチョフ大統領は、この「パリ憲章」に調印することで、この時点で、ソ連を早くも外見上はあたかも自由民主の国であるかのように振舞ったのである。

 共産主義国ソ連は、クーデター騒ぎ後のソ連最後の人民代議員大会(91年9月5日)で、「人権と自由の宣言」を法律として採択、「良心と信教の自由は保障される」(第7条)などと自由化したあと、12月に結局、国家として消滅してしまった。後継国、エリツィンのロシアは、1993年12月、「人権および自由は最高の価値である」(第2条)とする、自由人権・民主主義の憲法を制定した。残り十四の共和国も、個々に程度の差はあるが、もちろんソ連邦の中に置かれていた時よりは遥かに自由で民主的な、新しい国々に変わったのでる。

■広がるアメリカの理念

 クリントン大統領は1997年1月20日、その第二期就任演説で「史上初めて、この惑星において、独裁のもとで暮らしている人々より、民主主義のもとで暮らしている人々の方が多くなった」と、民主主義が世界に広がってきていることを喜んでいる。 1997年末の FREEDOM HOUSEの評価によると、世界人口の22%、12億6000万人が現在自由社会に暮らしており、39%、22億8000万人は「半ば自由な社会」、39%、22億8000万人が「自由でない国」に暮らしている。1997年末現在、世界の国数の61%、117カ国が選挙制民主主義国家である。また世界人口の55%が、民主的に選挙された指導者のもとで暮らしている。

 国数のパーセンテージで言えば、民主主義国は、東欧自由化・ソ連崩壊前の1988年には世界の39.5%だったが、自由化民主化、ソ連崩壊後の1993年には46.8%に増え、さらに今日1998年には61.3%へと増加してきている。東欧ソ連の自由化民主化、解体崩壊は、多数の新たな民主国を誕生させたので、世界国数中に占める民主国の割合が増加したのは当然であろう。

 それはさておき、ソ連共産帝国の崩壊(ユーゴの場合も同様)による被支配民族の解放、民族自決、民族独立は、第二次世界大戦の結果として、資本主義圏で起こったこと、つまり敗戦国日独伊ばかりか戦勝国欧米の、帝国主義的植民地支配が、植民地住民からの民族自決、民族独立の要求の高まりの中で、まずアジア、そして中近東、さらにはアフリカで次々と挑戦を受け、実際に次々と植民地独立が進行した、あの歴史的潮流が、大きなタイム・ラグを以て、共産圏を襲うに至った、ということである。

 第二次大戦の前夜、世界の国の数は共産主義国2カ国を含めて71カ国であった。

 資本主義国の植民地の面積は、世界陸地面積の29.1%、資本主義国の植民地の人口は世界人口の31.9%にも達していた。これらの植民地住民は、ほとんど例外なく、植民国家の国民とは差別され、低い地位に甘んじさせられていた。このような植民地住民、世界人口の32%も占めていた不幸な人間が、第二次大戦の結果として、戦後ようやく自らの国民国家を持つことが出来るようになったのである。こうして、いわゆる資本主義圏からは、戦後、何年か、十何年かのうちに、少なくとも今日までには、植民地住民という二級の人間はほとんど存在しなくなった。

 もっとも、戦前、面積で世界陸地面積の17.4%、人口で世界人口の7.8%を占めていた共産圏は、戦後は1978年4月のアフガニスタン共産化まで、17カ国に拡大し、世界陸地面積の26.9%、世界人口の33.2%を共産主義の支配下に置くに至っていた。その共産党支配下にあった世界人口の33.2%が、自由人権、民主主義の否定・抑圧にさらされていたわけである。

 しかし東欧の自由化民主化、ソ連の崩壊、ユーゴの崩壊により、またその他遠隔共産主義国の脱落などにより、共産主義の支配は今や、中国、ベトナム、北朝鮮、キューバの4カ国に限られることになり、世界陸地面積の7.5%、世界人口の23.1%を占めているに過ぎない。1991年末のソ連消滅以来のここ数年で、世界人口10.1%、5億7200万人の人々が、今や共産主義の支配から解放されたという勘定になる。

 こうして今やアメリカの理念(自由・人権・民主主義)は、冷戦を経、冷戦での勝利によって、いよいよ着実に、ますます世界全体に広がっていく趨勢にある。

■アメリカン・ヴァリュー

 ここでアメリカが、国連を通じ、あるいはアメリカ外交を通じて、世界にイン・プリントしてきた「アメリカン・ヴァリュー」について、簡単に整理しておきたい。

 しばしば「アメリカン・デモクラシイ」民主主義という言葉で言及される、建国以来のアメリカの国家理念(理想)は、単に主権在民、代議制政治制度、三権分立などの政治体制を指すのではなく、自由・平等の理念、基本的人権などを包括するアメリカの価値体系でありアメリカという国家の拠って立つ国家精神を言うのである。

 ほとんどのアメリカ人が熟知し、それら「アメリカの理想」を形成しているアメリカ人の共有財産は、@ジェファソンら起草の「独立宣言」(1776年7月4日)、Aリンカーン大統領の「ゲティスバーグ演説」(1963年11月19日)、B「米合衆国憲法」(1778年発効)、C「憲法第一次修正追加条項」(1791年12月15日発効)の4つである。

 @「すべての人間は平等に造られたものであること、すべての人間は創造主によって一定の奪うべからざる権利を与えられていること、それらの奪うべからざる権利として生命、自由、幸福追求の権利などがあること――これらの真理をわれわれは自明のことと考える」

 トーマス・ジェファソンらを主な執筆者とするこの「独立宣言」は、このように自由、人権を高く掲げ、「これらの権利を確保するため」にこそ、「被治者の同意」にもとづく政府を組織する、と米13州の独立を宣言しているのである。

 Aリンカーン大統領のゲティスバーグ演説は、戦死した人々の献身を無駄にせず、この国を、神のもとで、自由な国として新たに甦らせよう、と残った者の責任を訴え、「人民のための、人民による、人民の政府よ、永遠なれ」と結んでいる。民主主義の本質を何と簡潔に表現した言葉ではないか。

 B1778年発効の「合衆国憲法」は、民主的連邦国家の諸制度を定める一方、「われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保することを目的としてこの憲法を確定する」と「自由の恵沢の確保」こそが憲法の目的だとしている。

 C1791年発効の憲法第一次追加修正十カ条は、自由人権についての規定であるから、「権利章典」とも呼ばれている。その修正第1条は「国会は、国教の樹立に関する、又は宗教の自由な活動を禁止する、又は言論の又は出版の自由、人民が平穏に集会する並びに苦痛の救済を政府に請願する権利を制限するような、いかなる法律も制定してはならない」と規定している。

 即ち、米国憲法は、その修正条項、いわゆる「権利章典」の冒頭において、法律をもっても制限できない自由として、言論、出版の自由、集会、請願の権利と並べ、かつその先頭に「宗教の自由」を置いているのである。 

 ところで、「宗教の自由」はアメリカ民主主義の礎石である。宗教の自由は、すべての人間の固有の尊厳に基礎を置く一つの普遍的な人権である。実際、米国は、宗教的迫害から逃がれて来た様々な人々(ピューリタン、カソリック、クエーカーなど)によって築かれたから、米国建国の父祖たちは、(自他の)「宗教の自由」を権利章典、憲法修正条項の真っ先に掲げたのである。以来米国は、今日に至るまで、その外交を通じて直接に、また米国がその策定に指導的役割を果たした「国連憲章」、「世界人権宣言」を通じて間接に、常に世界的に「良心の自由」 「宗教の自由」 「宗教的寛容」のチャンピオンであり続けている。

 このことは、米国が建国以来222年、建国の理念としてきた米国民主主義の中でも、「宗教の自由」が極めて重要な地位を占めていることを物語っている。米国の価値体系、自由・人権の中でも、「宗教の自由」は建国当時特段に重要であったし、現在でも依然として、「宗教の自由」は、米国の堅持する価値体系、自由、人権、民主主義の中の重要なものとして、米国はその外交においても、世界におけるその擁護・推進に努力している。

 去る5月14日米下院は、「宗教迫害からの自由法」を375対41の圧倒的多数で可決した。 この法律は、国務省が宗教迫害を監視するモニター機関を設置し、議会へのその報告書提出を義務づけ、宗教迫害国に対しては、輸出を禁止するなど経済制裁を科すことを求めている。

 「宗教の自由」など、アメリカの自由・人権・民主主義の理念は、先に触れた1948年の「世界人権宣言」に続き、1966年の「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(国連人権B規約)というれっきとした条約、1981年の「宗教又は信念に基づくあらゆる形態の不寛容及び差別の撤廃に関する宣言」という国連総会満場一致の決議などによって、今日、条約法あるいはもはや慣習法として国際法体系の中に、しっかりと根づいている。

 B規約(ICCPR)は、第18条1 で「すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は保持する自由並びに、個人として又は他の者と共同して、及び公的に又は私的に、礼拝、儀式、行事及び教導の形で、自らの宗教又は信仰を表明する自由を含む」。

 同条2で「何人も、自らの選択で宗教又は信念を受け入れ又は保持する自由を侵害するような強制には従うことなし」。

 同条3で「宗教又は信念を表明する自由は、法律に定める制限であって、公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要な制限にのみ服するものとする」。

同条4で「この規約の締約国は、父母及び場合によっては法定保護者が、自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する」などと、「宗教の自由」を国際規範として詳細に規定している。

 もちろん国連憲章でも人権は「人種、性、言語、宗教」による差別なく保障されるべきものとしているが、世界人権宣言第2条と人権B規約第2条は、「人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的又はその他の意見、国民的又は社会的出身、財産、出生又は他の地位などによるいかなる差別もなく」尊重されるべきものとしている。

 なおB規約第27条には宗教的少数者に対する保護規定があり、「種族的、宗教的又は言語的少数民族が存在する国において、当該少数民族に属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない」と少数民族の「宗教の自由」を保障している。

 次に1981年の「宗教又は信念に基づくあらゆる形態の不寛容及び差別の撤廃に関する国連宣言」は、第2条2で「宗教又は信念に基づく不寛容及び差別という表現は、平等を基礎として人権及び基本的自由を承認、享受又は実践するのを妨げる目的又は効果を有するような、宗教又は信念に基づく差別、排斥、制約又は優遇の一切を意味する」と宗教的不寛容及び差別を定義した上で、それらあらゆる不寛容と差別の撤廃を求めている。

■楽観できない「宗教の自由」の状況

 これが、今や国際法体系の中に組み込まれた「宗教の自由」の原則であるが、もちろん現在、「宗教の自由」の実践に関して、世界がそこまで前進している、というわけではない。世界的に「宗教の自由」を実現していくことを目指しているアメリカの国務長官は、1996年11月『海外宗教自由助言委員会』を設置した。同委員会は、今年1月23日、中間報告書を提出し、世界各国における「宗教の自由」に関する問題状況を摘示、それに対して「宗教の自由」擁護・推進のために、米国として採るべき政策を勧告している。

 例えば、イランでは1979年以来200人以上が殺されるなど、ハノーイ教徒に対する宗教的迫害が続いており、キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教なども大なり小なり迫害を受けている、という。

 中国、ラオス、北朝鮮、ヴェトナムなど共産主義国においては、政府は公的なガイドラインと管理のもとで、礼拝の自由を制限的に認めているが、独自の宗教活動は、ほとんど禁止されているか又は厳重に制限されている。ヴェトナムでは、公認の寺院又は教会と無関係に独立して活動する仏教徒やキリスト教徒は逮捕されたり嫌がらせを受けたりしている。中国では、政府公認の宗教機関のメンバーがその機関のなかで彼らの信仰を実践する。チベット仏教徒、モスレム・ウイグル族、非公認のプロテスタントやローマン・カソリックは、広範な嫌がらせ、拘留、投獄、迫害にさらされている。ダライ・ラマがチベット仏教徒をパンチェン・ラマに選定した時、中国政府はその8歳の少年を拘留し、彼に接触するのを拒否することで、対抗した。キューバでは、礼拝は一般的に制限されてはいないが、宗教グループの活動は制限されている。

 アフガニスタンでは、個人は宗教を実践しない権利を否定されている。タリバンはイスラム教の論争の多い一つの解釈を強制し、モスクに出席するのは男性の努めとし、女性には教育、雇用、移動の自由を否定し、女性には家庭の外ではチャドリを被ることを強制している。国教がイスラムで政府がスンニ派イスラムであるサウジ・アラビアでは、シーア派イスラムなどイスラムの他派を含め、他の全ての宗教の自由が否定されている。 

 宗教的及び種族的ナショナリズム(それが政府又は反乱グループのいずれによって指導されたものであろうとも)は、宗教的迫害など、宗教的に動機づけられた、さまざまな暴力行為を生み出し得る。少数派宗教は特別脆弱で、国の迫害、部落の暴力又はテロリストの攻撃にさらされる。

 このような状況のもとにおけるキリスト教徒の迫害は、ごく最近になって十分な注意が払われ報道がなされるようになった、世界的な現代の問題である。パキスタンでは、政府は、キリスト教徒及びアーマディア・モスレムに対して「ブラスフェミイ法」を制定、予言者の名誉を傷つける行為に死刑を定めている。ビルマでは、軍政権が、大部分がキリスト教徒かモスレムであるカレン種族少数派と長期の内戦を続けている。ビルマの軍政権はまた、ロヒンギャ・モスレムに対しても、広範な暴力や差別を助長しており、何万の難民を出している。

 旧ユーゴスラビアでは、宗教の所属ゆえに迫害が行われた。これは疑いもなく、自分の勢力を強め地位を高めるために、指導者が宗教の違いを利用したからである。旧ユーゴの衝突の間中、レイプはボスニアにおいてモスレムの女性に対する武器として組織的に用いられた。クロアチアで殺された多くのカソリッリ教徒は、額に十字が刻まれて発見された。多数の神父が殺された。モスクも教会も破壊された。スーダンでは、内戦が、精霊信仰者、キリスト教徒、政府解釈のイスラムから外れているモスレム、に対する宗教迫害を含む、人権侵害に火をつけた。スーダンの市民は、一つにはその宗教的信仰のゆえに、また一つにはその人種、文化、戦争地帯からの距離のゆえに、虐待され、拷問にかけられ、奴隷のように扱われ、そして殺されたのである。

 この報告書からも明らかなように、世界における「宗教の自由」の状況は、まだ決して楽観できるものではない。だが、第二次大戦後、世界の、より多くの人々に、民族独立、生活向上、自由人権、民主主義など、「宗教の自由」を含む「自由の恵沢」が、次第に、そして着実に及んで来ていることは疑いないところである。われわれは、個々人の、また米国をはじめとする国際社会の、さらなる努力によって、この自由拡大の歴史的潮流をさらに加速しなければならない。

■自由人権・民主主義の核心

 「宗教の自由」は、アメリカの理念(民主主義、自由人権)の中でも核心的なものである。それは、他の自由人権と同様、すべての人間が神によって生得的に与えられた、不可譲の権利であって、国家は法律をもってしても、国教を定めたりまた宗教の自由な活動を禁止出来ないのである。この「宗教の自由」は、本質的に、新旧、大小あらゆる宗教の自由であって、すべての宗教宗派に対する寛容を意味していることは、1981年の「宗教又は信念に基づくあらゆる形態の不寛容及び差別の撤廃に関する国連宣言」からも明らかな通り、今や国際的常識である。

 共産主義国において長く「宗教の自由」が否定・抑圧されてきたことは衆知の事実であり、中国におけるチベット、新彊ウイグルなどでの氏族的、宗教的抑圧が依然、国際社会の鋭い関心を集めている。

 中東のイスラエル、パレスチナをめぐる、ユダヤ教徒とイスラム教徒との未だ終わりなき対立抗争、冷戦後のボスニア・ヘルツェゴビナに起こった、余りにも悲惨な民族的宗教的対立抗争、これらは基本的には、「宗教の自由」の欠如、つまり他者の宗教宗派に対する不寛容から来ている、とも言える。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」というUNESCO憲章(前文)を思い出すまでもなく、それぞれに神を信じる、その意味で、お互いまともな人間が、「宗教の自由」の本当の意味に思いを致し、他の宗教宗派を信じている人々に対して、寛容な心を持っことが出来れば、お互い神を信じる、まともな人間同士の間には、やがて必ず平和の道、平和的的共存の道が自ずから開けて来る、と私は確信している。

 最後に、クリントン大統領が懸念を表明した、ロシアにおける1997年の新宗教法制定に見られるような、国家が既存の宗教宗派を保護し、新しい宗教宗派を排斥しようとする、若干の国々における新たな傾向について言及しておきたい。

 ベルギー、フランス、ドイツでは最近、日本のオウム真理教のような暴力的なカルトヘの恐れもあって、セクトを調査する委員会が設けられた。これらの委員会が違法行為の調査のみに止まっていれば問題ないが、そうでなければ「それら委員会は個人の宗教又は信仰の自由を否定する危険がある」「ドイツでは、サイエントロジスト教会、一キリスト教カリスマ派教会のメンバーが、エンケソト委員会の厳重な査問を受け、数人のメンバーが散々痛めつけられ暴力的脅しを受けた」と米国務省「宗教の自由諮問委員会」の暫定報告書は、ドイツではいくつかの宗教宗派が迫害にさらされ、「宗教の自由」が揺らいでいることに重大な懸念を表明している。

 自由人権・民主主義の核心を成す「宗教の自由」。それは、良心、信仰、思想、信条、言論、出版、集会、結社の自由などとともに、人間の基本的権利として、生得的に、不可譲のものとして、神から直接に、与えられたものである。あの宗教(又は宗派)は(例えば古くからあるから)いいが、この宗教(又は宗派)は(例えば新しいから)悪い、とか、そもそも人間個々人の、心の奥底の選択や信仰を、国家権力が干渉してはならない、というのが、「宗教の自由」なのである。また他の宗教宗派に対する寛容こそが、「宗教の自由」の、もう一つの重要な要素なのである。

 そのような「宗教の自由」を世界的に確立して、自由人権、民主主義、そして国連の集団安全保障による平和維持の、「新世界秩序」を構築したいものである。

(1998年5月24日、「新しい世紀と宗教の自由」日本会議において発表)