グローバル化時代と日本人
―意識改革を求めて―

愛知学泉大学教授 倉沢 宰(サイエド M . ムルトザ)

 

1.はじめに

近年、「共生」という言葉が、日本でもてはやされています。「共生」という言葉は、何を意味するのでしょうか。あるいは、どう考えたらよいのでしょうか。私は、「グローバル化(globalization)」と「開発イデオロギーの行方」という二つの視点から、この問題を考えてみようと思います。

 私はバングラデシュ出身ですが、日本とバングラデシュとのさまざまな格差をいろいろな面で感じてきました。さらに、日本でNGOとかかわる中で、彼らといろいろな問題を話したりする機会が多々ありました。そうした経験をもとに、今日は「共生」という問題を考えてみようと思います。

「共生」という言葉そのものを辞書で引いてみますと、英語ではsymbiosis、あるいはco-habitatという言葉になります。symbiosisというのは、植物学上の用語で、意味としては、別種の植物が一緒に育つような状態、あるいは原生林でみられるような状態を指しています。またco-habitatというのも、別種のものが一緒に棲むとか、育つといった意味をもっています。

2.日本の近代化を振り返って

 この「共生」の概念を社会学的に応用してみますと、ここでは日本国内的な問題と日本と諸外国とのかかわりの問題という二つの側面から捉えることが可能かと思います。

 そこで、あえて今回は南北問題の視点といいましょうか、バングラデシュを視野に置きながら、話をして問題提起したいと思います。

 日本の近代化過程を簡単に表現しますと、「経済大国への道程(みちのり)」であったと言えます。今から30〜40年前までは、エキゾチック・ジャパンという表現がありました。例えば、フジヤマ、ゲイシャ、チョンマゲ、ハラキリなどの言葉は、その代表的なものと言えます。それは、外(外国)からの視点といいましょうか、特に欧米諸国は日本をエキゾチック・ジャパンとして見ていたということであります。

ところが、彼らの目に映っていた日本が、急に経済大国になりました。ですから、その変化の過程は、フジヤマ、ゲイシャ、チョンマゲの時代から、ジャパン・バッシング、封じ込め、日本脅威論といった段階への道程(みちのり)として理解することができます。

 そうした過程を念頭に置きながら書物を読んでいて、よく「日本異質論」という概念に出会います。しかし私は、このことに対して違和感をもたざるを得ません。つまり、このことを論じている人自身の文化も異質といえますので、その意味では「文化的相対主義」の立場から日本を論じた方が、むしろ分かりやすいと言えます。

 この「日本異質論」というのは、西洋文化中心主義の中で流行(はや)ってきたものであって、それに日本人研究者の一部がのってしまって、日本で論じられているような気がします。さらに日本の歴史上、戦前の天皇制国家教育の中でも、別な形で強調されていた経緯があります。

 日本の近代化はこうしたエキゾチック・ジャパンから経済大国への移行をという側面と、前世紀半ばからの「尊王攘夷思想」が背景にあったと考えていいと思います。そのことは、結果的に一種のナショナリズム指向(≒集団主義)を強く打ち出して進んできました。それを教育の中に取り入れたものが、「教育勅語」でした。そこからスタートして第二次世界大戦まで強力に進められた日本の歴史過程は、明確なものです。

 日本の教科書を見て驚かされることは、今でも日本のことを「小さな日本」とか、「弱い日本」という立場で論ずることです。つまり、近代化の歴史の中で、その当時の日本が欧米諸国に対して非常に弱い立場に置かれ、彼らに「追いつけ、追い越せ」という態度で100年くらいやってきました。その中から現在でも依然として、「日本は小さい、弱い」という思想が、根底に流れていると思います。

 現在の日本が世界の経済大国になったというのに、大学生たちと話をしてみると、「日本は、もっとリーダーシップを取るべきだ」という話に対して、学生たちの中で否定的な意見をもつ者が、半数くらい出てくることがあります。彼らは、「そこまで日本はする必要はない」とか、あるいは「(日本が世界の)リーダーシップを取ることはできない」などといった意見をよく言います。世界の中で日本が大国で、「リーダーシップを取れ」と言われても、取れない心情の背景を、上述したような一連の日本近代化の歴史の流れの中で、捉えれば理解できるように思います。

3.「国際化」から「グローバル化」へ

 こうした歴史の流れの中から現在の日本を見ると、今から10年程前から「国際化」という言葉が非常に流行しました。今でも「国際化」という言葉が、よく使われるのですが、私はどちらかというと「グローバル化(globalization)」という言葉の方を重視すべきではないかと思っています。

 今年(1997年)の8月に、3週間くらい家族を連れてイギリスの田舎を車で回りました。道中、村のパブに立ち寄っては、そこの主人などと世間話をしたりしました。そのとき彼らに、「(ヨーロッパの統合による)internationalization(国際化)というものをどう思うか」と聞きますと、「internationalizationとは何?」という返事が先ず返ってきました。つまり「国際化」とは日本国内の概念であって、海外ではその意味を表わす場合は、「グローバル化(globalization)」と言っています。inter-national、つまり「国家(nation)間」という言葉は出てこないのです。

 この意味するところは、今日的なコンテキストで考えると、「国家」の枠を超える自由を、我々はある程度得ることができたということなのです。その自由には、さまざまなものがあり得ますが、ここでは3つの要因を挙げてみます。

 第一は、情報伝達手段の革命が起こっていることです。そこにおける自由とは、インターネット・サーフィングができ、世界の誰とでも瞬時に友達になれる、あるいは意見交換ができるという時代に我々がいるという意味です。つまり、同時に不特定多数、それだけでなくて、不特定多数の地域の人間と交流できる自由です。要するに、「どこどこの誰」ではなくて、場所の特定のない「誰」だけになってしまうのです。これは実に大きな革命だと思います。

 第二番目は、自由市場です。国家の枠を超え、自由貿易市場を求めて世界が動いています。それが地域(Zone あるいはRegion)ごとにできるようになってきました。国家という単位を考えずに、貿易ができるようになってきました。

 第三番目は、人間移動(旅行、仕事、居住など)の自由です。昔と比べれば、人間移動の自由は非常に増えたと言えます。いろいろな弊害はまだありますが、それにしても移動の自由が拡大したことは事実です。それは、旅行や仕事の関係はもちろんのこと、不法滞在にしても、移民にしても、いろいろな国が受け入れているからこそ、人間移動の自由が可能になっているわけです。今から50年前ならそんなことは考えられませんでした。

このような3つの要因によって、つまり国家を超える自由によって、一体何がもたらされたかというと、inter-dependence(相互依存)とmulti-culturalism(多文化主義)ではないかと思います。たとえ日本が単一文化圏、あるいは単一民族国家であろうとも、結局こうした3つのかかわりの中では、「多文化主義的教育」はどうしてもやらなくてはならないということになってきますし、「異文化理解」ということが必要になってきます。

「相互依存」は、経済分野で非常に増えてきているという点を考えると、これには物理的な側面がありますから、どちらかというと多文化主義よりも進んでいくと思います。

 一方、多文化主義の方は、二歩進んで一歩後退という感じで、いろいろな弊害の中で少しずつ進んでいるといったところです。相互依存と多文化主義の流れの中で、ズレが生じてきています。このことは、「共生」を考える上で、どのように処理していけばいいのでしょうか。

 実は、私自身もよく分からない状況なんです。理想的なことを言えば、いくらでもものは言えるのですが、現実的にどう対処できるのかという問題なのです。

4.「開発イデオロギー」の問題

 次に、バングラデシュとの関連で「開発」の問題と「共生」を考えたいと思います。

 私は、「開発」に関しては「開発イデオロギー」という言葉を使っています。それは「開発」ということが、すべてにおいて大前提となっていて、そこにすべての価値観を置いてしまうような印象があるからです。「民主主義」というイデオロギーを信じると同じように、いろいろな国で「開発」優先の考え方を信じてしまっているのです。

 私は日本に来て以来、バングラデシュと日本との間を何度か往復していますが、2度目にバングラデシュに帰った時は1979年頃のことでした。その時は、私がまだ留学生時代で、数年ぶりに帰国していました。バングラデシュのマーケット(市場)に行ったら、エビのしっぽと頭の部分が売られているではありませんか。私が子供の頃、エビはよく食べましたし、マーケットでもよく売られていました。しかし、この時はエビがないのです。あるのは殻としっぽだけなのです。一体どうなったのかと、市場の人に聞いてみると、エビは日本に輸出してしまってないと言うのです。

 私はびっくりしました。バングラデシュは貧困国で、食事もまともに食べられない状態なのに、このような国からエビがみな日本に行ってしまうのです。このしくみとは、一体何だろうと考えてしまいました。

 それから東南アジア方面で調査活動などをしている時に、いろいろなことに出会いました。

 タイでは観光開発ということでゴルフ場ができています。タイでは日差しが強いので、ゴルフ場では芝を育てるのにかなりの水を撒かなければなりません。水を撒くのに、雨季なら問題ないのですが、水の少ない乾季には、ゴルフ場が水を確保し、その結果、農民は畑を耕すのに水が足りないという状況が起こっています。

我々ははもう一度、「開発」とは一体何なのか、そしてその「開発」の中で「共生」とは何だろうかということを考える必要があるようです。

 日本は貿易をしているわけですが、貿易はその国のためになっているという考えもあります。でも、ある貧しい国にとって食料として必要なエビが、ほとんど日本に来てしまっているとしたら、それは世界経済原理から見た時に、一体どういうことなのでしょうか。あるいは、観光開発をその国のためにやっていると思っていても、それが経済の論理だけで動いているために、逆に不利益をこうむる人々も出てきてしまうわけです。そういう状況にありながらも、日本では「共生」と言っているのです。そうしたときに、「共生」とはどう捉えたらいいのでしょうか。

5.近代経済原理の矛盾

 実は、近代経済は、生産を高めることによって富を得るという仕組みで成り立っています。自給自足の経済段階から近代経済へ移行するプロセスは、過剰生産、過剰消費の段階へと発展することと言えます。そうした経済の発展過程の中では、失うものもあれば得るものもあります。

 例えば、日本では農業を失いましたが、工業生産ではたくさん得たものがありました。いずれにしろ、過剰生産は過剰消費しない限り支えることができません。毎年の右上がりの成長を必ず求めることになります。そういった仕組みの中で現在の経済が進んでいます。このシステムの中に、世界全体が徐々に巻き込まれてきました。発展途上国は、50年前はそうではなかったにせよ、今はまさにその仕組みの上に乗りかかって動いているのです。

 こうした近代経済は、かなりの格差をもたらしてしまいました。例えば、バングラデシュ国内における貧富の格差ばかりでなく、国際的に比べれば、日本との格差が広がっているという状況があるわけです。国内社会的にも、地球的規模においても格差が広がっていくという深刻な問題があるのです。

 もう一つの問題は、こういった過剰生産、過剰消費を進めていくと、必ず地球資源の枯渇問題が出てきます。例えば、日本の開発教育協会の資料によると、日本で紙の消費量をA4の大きさで換算して、日本人一人が1日にどのくらい使っているかを計算すると、120枚になるそうです。その中には、新聞紙などすべての紙類が入っています。それは納得します。なぜなら、新聞の発行部数から計算すると、一家庭で1.5部新聞を購読していることになるのです。それに加えて、過剰包装、マンガ本等の氾濫もあります。

 紙の計算でもう一つ驚いたことは、1981年から93年の12年間に、紙の消費量が約2倍になっていることです。80年代初めには、「将来は紙の消費量が減るだろう。コンピュータ化によってペーパーレス時代になるだろう」と言われていましたが、現実には逆に紙の使用量が増加していっているのです。

 これはどうしてなのだろうと大学生たちと話をしていると、あるいは学生の生活ぶりを見ていてもその理由が分かってきます。例えば、コピー料金が昔と比べて非常に安くなりました。私が学生のころは、コピー1枚30円くらいでした。今の貨幣価値で言うなら100円くらいでしょうか。ところが今では1枚10円ですから、約10分の1になったことになります。それでコピーする機会が飛躍的に増えたのです。またコンピュータのプリントアウトでも多量の紙を使うわけです。

 それだけではなく、日本の流通機構を見ても、明らかな問題があります。以前はものの輸送に、カゴや木箱を使っていたのですが、今では全部段ボール箱です。紙の消費量が常に増えています。これは日本だけではなく、途上国もおそらく同じ道を辿ろうとしているのではないかと思います。

 上述の資料に出ていたのですが、中国では一人当たりの紙の使用量は約20枚です。その中国が「追いつけ、追い越せ」ということをやるならば、そしてそのモデルが先進国ならば、おそらく世界の森林が全部中国の消費だけで終わってしまうでしょう。

 こういった経済の仕組みと開発、生活の向上、それにつながる地球資源枯渇の問題が関係してきます。象徴的に紙だけを取り上げましたが、どの問題にしても同じことが言えます。

 例えば食糧に関しては、日本では年間5000万人分の食糧が捨てられているそうです。日本の食糧生産と食糧輸入から推定すると、日本の食糧消費量は、1億7000万人分になるといいます。しかし、日本の人口は1億2000万であるから、それを引いた分はどこかへ消えているわけです。

 我々のライフスタイルの変化から取り上げても同じことが言えます。

 例えば、昔の日本の家庭では、大体食料を大事にしていました。50年前食料のない戦争時代を経験しているので、お母さんは食べ物を大事にしろと言います。それが道徳として、価値観としてありました。

 もう一方では、客を過剰にもてなすのが美徳という価値観があります。昔ならば、結婚式に出て余ったものは持って帰れたのです。今は結婚式に出たら、フランス料理になってくると持って帰れません。すると宴会の余りものは、全部捨てられることになります。宴会場などを調査すれば、多量の食料が捨てられていることがよく分かります。

 また最近、コンビニとかファースト・フード・ショップが増えて、何が起こったかというと、数時間おきにものを捨ててしまうということです。なぜ捨てるかというと、我々の価値観のためです。いわゆる新鮮なものを求めるという価値観。牛乳パックでも、あるいは弁当やおにぎりにしても、より新しい日付を求め、少しでも古いものは、十分食べることが可能であっても買わないのです。買わない結果、店ではそれらを捨てざるを得ないのです。

 ある学生がアルバイトをしていて、新しいことを教えてくれたのですが、コンビニではものをそろえるために過剰に注文するというのです。全部売れるわけではないことが分かっていても、そろえておかないと客が来ないので、過剰に注文するというわけです。これも結局、我々の価値観と連関していて、結果的に相当な量の食料が捨てられるという状況が生じています。

6.自分の足元からの変革

 端的に言えば、環境破壊の問題も、地球温暖化の問題も、あるいは災害も、我々の生き方と関係しています。

 例えば、バングラデシュでは最近、とても水害が多くなっています。ヒマラヤの伐採問題と関係があると言われています。しかし問題の第一は、我々が近代経済の原理で動いていることです。そして問題の第二は、その経済原理に、先進国のみならず、発展途上国も乗ろうとしていることです。格差が開いているという状況にありながら、格差を埋めようとして発展途上国が先進国のまねをして、同じ道を辿ろうとしています。

 こういった状況の中で、結局「共生」とは何だろうかと非常に悩んでしまいます。

 一つ考えられることは、自分たちの足元から見直すということです。具体的なものとしては、まず「empathy(感受性のある人間教育)の育成」が挙げられます。そして環境NGO団体がよく使うスローガンでもありますが、“Think Globally and Act Locally”という考え方も参考になります。

 つまり、自分の足元から自分の生活やライフスタイルを変える必要性があるだろうと思います。「共生」とは、足元から「自分を変える」ところから出発すべきだと考えています。相手に何かを求めるというよりは、自分の変革の方によりウエイトがかかってくるのではないでしょうか。

 学生たちや市民団体などにこのような話をしばしばすることがあります。しかしそれを社会全体に向けてどう繋げていくか、あるいは社会をそのように変える方向へどう導くか、これらがこれから21世紀に向かう我々の大きな課題だと思います。

(1997年9月20日発表)