自我の形成における家族の影響

カリフォルニア州立大学教授 T.M.カンドー

 

1、はじめに

 この論文の目的は、人間形成において家族の役割の重要性を明らかにすることにある。 「シンボリック相互作用論(Symbolic Interactionism)」に基づいて、以下の議論を展開しようと思う。この理論は、シカゴ大学の哲学者であるジョージ・ハーバート・ミード(George Herbert Mead)の影響を受けているが、社会科学分野では特別な位置を占めている。その主な特徴は以下のようのものである。

1)人間存在とその成長に対しての、おそらく唯一の非決定論的モデルとなっていること。

2)他の社会科学の理論(例えば心理学の行動主義、社会学の構造主義・機能主義、精神分析心理学など)とは違い、ミード派の社会心理学は人間に特有で他に類を見ない性質に焦点を当てていること。

3)社会科学的手法の中で唯一、人間の不確実性(ミードの「私」の概念)、自由意志、道徳的選択を認識していること。

 この論文では、家族とそのかけがえのない(代替不可能な)社会学的役割について考察しようと思う。続いて、いくつかの具体例と事例研究を提示し、最後に現在家族に影響を与えている諸問題、議論の的となっている内容、意見が対立している内容などに触れながら、社会問題としての家族について扱うことにする。

2、諸概念についての解説

 今回の国際会議のテーマは、「アイデンティティーと人格−人格形成に対する家族と社会の影響−」である。このテーマのもとに筆者は、自我の形成(Formation of Selfhood)、特にそれが家族(Family)から受ける影響に、焦点を絞って論を進めたい。ここでの議論のキーワードとしては、「アイデンティティー(Identity)」、「個性と人格(Personality and Character)」、そしてとりわけ重要な「自己(SELF)」などがある。

 自己(self)の概念は多くの心理学者、社会学者、社会心理学者によって用いられ、多くの異なる意味を持つが、漠然としていることが多い。本論では、「シンボリック相互作用論者(Symbolic Interactionists)」の解釈に限定してこの用語を用いることにする。

 シンボリック相互作用論は社会学における一学派である。それは、マクロ社会学とミクロ社会学の中間の一帯を占めている。従ってそれは、個人及び社会の構造の重要性を認識する社会心理学的学派である。さらに、この学派の特徴は、人間主義的(Humanistic)であり、人間研究に実証主義的(Positivistic)モデルを用いないことにある。

 人間主義的社会心理学における主要な理論は――少なくとも社会学の分野では――シンボリック相互作用論と呼ばれる。この厄介な名前はシカゴ大学、後にバークレーの社会学者であるハーバート・ブルマー(Herbert Blumer)によって作り出された。この理論のもととなる独創性に富んだアイディアは、シカゴでのブルマーの師であり前任者でもあるジョージ・ハーバート・ミードによるものである。

 自己の形成における家族の役割を論ずるにあたって、もっとも重要な用語を以下、検討しようと思う。その用語とは、(1)自己、(2)アイデンティティー、(3)個性、それと関連して人格、(4)家族である。更に(5)社会化、(6)役割取得、(7)言語、(8)文化についても検討しよう。


自己(The Self)

ここでは、ミード派の意味合いをもって用いている。簡単な出発点としては、次のような公式がある。 the self=the I(私)+the me(私)。これはどういう意味か?

‘I’は自己の主体的側面を表わし、‘me’は対象的部分を表わす。人間は、自己であると同時に自己を持つ。私は活動し(主体的に活動する‘I’)、そして私はその活動について認識している(対象としての‘me’を見つめている)。言いかえれば、私は自己を意識し、認識している。私(I)は常に活動しているだけでなく、絶えず私(me)を見つめ、判断し、監視し、方向づけや方向修正を行っている。

活動は現在に起こる。私(I)は活動の原理―常に現在―を表わしている。私(I)が自分自身を意識し、内省を開始した瞬間―自分の過去や未来の行動、アイデンティティー、地位、状態、関係性、感情などについて吟味する―、その対象は私(me)である。

 人間も人間以外の生物も共に活動する。動物は現在に生きている。彼らは「生命」−ミードの‘I’概念に類似する用語であるフロイトの「イド(id)」を持っている。我々人間が特徴的なのは、例えば過去や現在の自分を見つめるなど、内省を通して現在を超越する能力である。人間の経験だけが内省的なため、人間だけが「自己」であり、「自己」を所有する。

 思考(thinking)は、私(I)が私(me)に指示を出す過程である。思考は自己の内面的会話である。この会話は言語などの象徴の形式によって起こる。

 思考の過程に加えて、自己は人の目に見える行動も含んでいる。その行動は、本能的あるいは衝動的というより、しばしば意図的である。ウィリアム・ジェームズが説明したように、私の自己(self)は、私の体、私の所有物、私の役割、私の評判、私の感情、私の業績、私の罪など、私のものであると言える全てを総合したものを含むものである。

 他の現象と同様に、「自己」は変化しやすい。つまり、自意識の中で、意図的に、管理された方法で活動する範囲は、個人により、また日により異なってくる。幼い子供の「自己」は、大人の「自己」より一般的に未発達である。

 野性化した子供の例も、数例調査報告されている。その一つに、19世紀の南フランスの例(Averrouxの野性少年)がある。これは生後すぐに捨てられた少年が、自然の中でどうにか生き延びた例である。

 また、1940年代にカリフォルニア大学の社会学者キングスレイ・デイビス(Kingsley Davis)は、オハイオ州で生後まもなく両親によって何年間も屋根裏部屋に閉じ込められ食物のみを与えられたアンナ(Anna)とイザベラ(Isabella)について報告している。社会的な相互作用の欠如の中で、この子供たちは自己を発達させることができなかった。7〜8歳で当局に発見された時、彼らは動物のようであった。では何が人間の自己の発達を保証するのか?


社会化 (Socialization)

「社会的相互作用を通してこそ、人間は自己を発達させることができる」といえる。「人間」という種は、他の種に比べ、生命の危機にさらされた時に、本能的にそれを回避することが下手な存在である。人間は、先天的にプログラムされた本能的な「技術」をほとんど持っていない。鳥が巣を作ったり蜂が花粉を見つけて集めるような先天的な「技術」を持って生まれていない。従って人間は学習するのである。

「社会化」とは、「重要な他者(significant others)」が、我々が生まれた時点から社会の中で機能する一員となるために必要なこと学べるようにしてくれる過程である。「社会化」を通して、人間は「自己」と「言語」などの生き残りのための技術を発達させてきた。これらは、どのようにして形成されるのか?


役割取得 (Role-taking)

「社会化」の中で鍵となる要素は「役割取得」、または「共感(empathy)」、「他人との同一視(identification with the other)」である。これは何か神秘的な超感覚的知覚(ESP)のような過程ではない。「役割取得」は、例えば幼い赤ん坊が母親を観察しながら、母親に関連することがらを学び、それに続いて彼自身がその意味を認識する時に起こる。

 例を挙げてみよう。母親が台所で料理をしている傍らで、子供が小児用の食事椅子に座り、熱心に観察して全てを吸収している。母親はふと料理用レンジに触れて手を火傷し、熱さのあまり「熱い!」と声を上げる。子供は母親の反応を見て、彼女の経験から料理用レンジは危険であるということを学ぶ。これが「役割取得」の意味である。我々は対象物の持つ意味を、他人がそれにどう反応するかを観察することによって学ぶのである。

 人間にとって、対象物は固有の意味をもたない。対象物の意味は、我々がそれにどう反応するかによって決定される。我々の対象物に対する反応は、固定されても、予め決められてもいない。それは恣意的で、選択されたものである。我々は対象物、環境、経験を解釈するのである。

 しかしながら、他のもの、すなわち「重要な他者」と文化全般を通して、我々は解釈の仕方を学習する。上述の例では、子供は母親から料理用レンジの意味、つまりそれが危険であるということを学んだということである。

 役割取得は、我々が他人の立場に立って、その人物の観点から世界を見る過程でもある。上記の子供は、レンジが危険であるということを理解するために、自分の手を火傷する必要はなかった。彼は母親の反応を通してそれを学んだのである。

 しかし役割取得がもたらす、おそらくもっと重要な結果がもうひとつある。 一度その子供が他人の立場に自分を置きその人の観点で環境を見ると、もうひとつの対象物がその子供の視野に発生する。すなわち、彼自身である。自分自身を客観化することによってのみ、人は自分を意識することができる。つまり役割取得を通してのみ、自己を獲得することができるのである。幼児は自己を持たない。7歳の時、アンナとイザベラは自己を持っていなかった。自己の形成は、社会的相互作用などの役割取得の中で起こる。

 従って人が発達させる「自己」は、その人の「社会化」に責任を持つ「重要な他者」(または使い古された用語で言うなら「役割モデル(role-models)」)によるところが極めて大きいということになる。この極めて重要な点は、後述の家族についての議論の項で触れることにする。


言語(Language)

 我々が対象物、経験、環境に反応する方法のひとつは、物事に名前をつけることである。進化の過程において「人間」という種は、多くの異なる音を使い、それを呼称の手段や環境の中の異なる刺激に言及する能力を発達させた。このような複雑な呼称システムは、例えば部族の一員が他のメンバーに特定の危険を警告したりするなど、コミュニケーションの極めて重要な手段となった。

 このようにして言語が発生した。言語は象徴、または単純にいえば言葉のシステムである。言葉(象徴)は「言及する主体」である。例えば、言葉(象徴)は対象物など、何か他のものに言及している。

 言語を持つのために、人間は対象物や経験に対して言語的に反応する。対象物や経験の意味は、言葉を通すなどして象徴的に表現される。

 上述の例では、子供の母は手を火傷した時に「熱い!」と叫んだ。今後は「熱い」という音は子供には何かを意味する。すなわち、それが「熱さ」であったり、あるいは「料理用レンジ」であるかもしれない(多少の誤りは後に修正されることになる)。

 一度言語が使用されるようになると、「言及する主体(言葉、象徴)」と、その言葉が示す「言及する対象」との分離が起こる。言葉は状況を超えて、ひとつの意味を獲得することになる。今や言及する対象を伴なっていなくても、言葉それ自体が言及する対象物や経験を喚起することができるようになる。これが「人間の自由」の起源である。言語は、人間が「ここ」と「今」を超越し、想像のままに何処へでも−存在しない世界も含めて―、時空を旅することを可能にする。


アイデンティティー(Identity)

 社会心理学者は、多くのの自己に関連した概念を区別しているが、それぞれの概念は自己の異なる側面を示している。

 例えば、(1)自己概念(self-concept)、(2)自尊心(self-esteem)、(3)アイデンティティー(identity)を区別するのは重要なことである。

「自己概念」と「自尊心」は、どちらもより主観的であるという点において、「アイデンティティー」とは異なる。一方、自己概念も自尊心も、ある人の自分自身に対する主観的な見方と関連するが、後者(自尊心)はより評価的であり、前者(自己概念)はそうでない。つまり、自己概念は、自分が自分をどのような人物と考えるかを示し、自尊心は、自分が自分を好きであるかどうかを示す。

 ところがアイデンティティーは、客観的(または相互主観的)な自己の様相である。つまり、自分のアイデンティティーは自分が自分をどのような人物と考えるかというよりは、他人がどう考えるかを示している。理想的には、ある人のアイデンティティーは自己概念(そして自尊心)と一致する。しかしながら、このような場合は極めてまれで、時には精神医学上の問題が認められるほど、その相違が極端に大きいこともある。

 例えば私の自己概念が、「私はナポレオンの生まれ変わりだ」というものだったとした場合、これが私のアイデンティティーになるとは考えにくい。従ってアイデンティティーとは、その有効性が確認され、社会的に合意された自己であるとなる。


個性と人格(Personality and Character)

「個性」の概念に付随する重要な問題がある。personalityは(ここではcharacterと同義的に使われている)、多かれ少なかれ持続性、不変性のある、心理学的および行動学的な個人の本質的特徴を示す。例えば、ある人はのんびりした個性、ユーモアのセンス、短気な性格、優れた指導者としての資質、あるいは臆病な性格を持っていると言われるようなものである。

 チャールズ・ウォリナー(Charles Warriner)は、社会科学のふたつの観点を比較している。すなわち、安定型人間(stable-man)と創発型人間(emergent-man)という観点である。

「安定型人間」は、ほとんどの心理学者や社会科学者が支持する伝統的な見方である。彼らは人は如何なる状況においても、常にもっている核となる個性があり、それは過去の経験が作り出す不変の産物であると信じている。これは本質主義(essentialist)の人間概念である。自己の核となる部分には、本質的私(me)があり、それは日によって、あるいは状況によって大きく変わることがない。パーソナリティーの心理学(Personality Psychology)と特性心理学(Trait Psychology)が、最もよくこの安定型人間観を説明している。

 他方で、シンボリック相互作用論者(明らかに少数派)が上述の立場に疑問を投げかけている。彼らの見方は、創発型人間観である。彼らは我々の自己は固定されておらず、むしろ変わり易いと主張する。我々の行動は、しばしば状況によって決定される。我々は必ずしも過去の経験に束縛されていない。人間の生活は、「過程(プロセス)」である。人間は変化することが可能であり、その行動は予測可能でもなく、先行する原因の決定論的な結果でもないというわけである。

 シンボリック相互作用論者は、しばしば人が類似性、反復性のある行動をとることを否定しない。仮に私が、生涯恥ずかしがりで内気だったとすると、私が突然それと反対の流儀で行動するとは考えにくい。我々はある一定の特徴を持っているように見える。

 しかしながら、シンボリック相互作用論者は、個性、人格、特徴などの用語を持論の助けとなる概念としてのみとらえている。これらの用語は、具体化して考えられるべきでない。

 反復性があり、いくらか予測可能な行動を説明するためのより良い用語として、ウィリアム・ジェームズによって用いられた「習慣」という用語がある。 彼は、それを「可塑性・・・は、影響に屈する程度に弱いけれども、一遍に屈しない程度には強い構造を持っていることを意味する。このような構造において、均衡の比較的安定した状態は、我々が一連の「習慣」と呼ぶ言葉で特徴づけられる」と説明している。

 たとえ努力を伴なうことがあるにしても、習慣は変えることができるはずである。日常、多くの長期にわたった愛煙家が喫煙を止め、薬物中毒患者やアルコール中毒者がリハビリを行っている例がある。

 この創発型人間観は、例えば伝統的なパーソナリティーの心理学などの安定型人間観よりも楽観的な見方をしている。創発型人間観は、人間の可塑性と改善性を信じる。そしてより多く柔軟さ、変化を認め、総じて自由を可能なものとしている。

それでも社会科学的理論は、イデオロギー的な含みを前提にして、立てられるべきではない。人間が生涯本質的な個性を持つかどうかは、経験的な問いでなのである。

 事実は、この二つの対立するパラダイム―一方は不変性、他方は変化を強調する―の間にあるといえよう。

 しかし、安定型人間観の概念をすっかり受け入れることに対して、もうひとつ極めて重要な反論をしておかなければならない。もし我々の文明が、自由は幻想であると真に確信する(B.F.スキナーがそう議論するのを好むように)に至るならば、これは実際のところ自己成就的な予言である。もし我々が、自分や他人の否定的な行動を変えることができないと信じたいならば、実際にそのようになるかも知れない。社会科学とその助けとなっている諸々の専門分野は、既に決定論から遠く離れてしまっている。現代社会は、古くからの道徳的な言葉に代わって、殺人から注意欠陥障害(attention deficit disorder)に至るまで、社会的、行動的問題に対して完全に医学的な手法で取り扱うようになってしまった。医学的な分類、薬物治療、そして否定的な行動は患者のコントロール不可能な原因によるという一般的な信念は、個人の責任、人間の選択の自由という昔ながらの考え方を大いに減退させてしまった。ある理論的な立場の採用は、実際に人が理解しようとする現実に影響することもある。そこには人間に対して過剰に本質主義的な人間概念の危険性が潜んでいる。


文化(Culture)

 文化的な背後関係を抜きにして、人間の発達を社会学的に理解することはできない。偏った見方になる危険を承知で、文化とは、「人間環境における全ての人為的な要素の総体」を意味するということを読者に述べておきたい。文化が物質的な遺産を―人類学者にとって重要な焦点―含む一方で、ここでの我々の主要な関心は、例えば価値観、慣習、制度、人々の集合的心理などの文化の社会的構成要素にある。

 前述の個性と人格に関する部分で、「習慣」の概念を紹介した。習慣が個人に意味するところは、文化がその集団に意味するところと同じである。習慣(または「個性」)という心理学的概念は、社会学の「文化」という用語に相当する。文化は社会の集合的習慣から成り立っている。

 個人の習慣(または個性)のように、文化もさまざまである。今日、文化的相対主義は、単に政治的にのみ妥当とされている。しかしながら、全ての文化が道徳的に見て同等であるという考え方は誤りである。明らかにある価値観、慣習、制度は、他に比べてより機能的である。ある文化は、他の文化に比べて正常に機能しない要素をより多く含んでいる。簡単に言うとすれば、ある個人の行動と同じく、ある文化は他の文化に優っているのである。

 更に文化は、個人のように、よくもなれば、悪くもなる。

 この過程の実例を挙げたのが、コリン・ターンバル(Colin Turnbull)のイク族(Ik)の人々に関する素晴らしい研究(1996)である。このウガンダの部族は、ある時期幸福で繁栄していた。やがて植民地化、環境悪化、土地の不毛化によって、人々は互いに私利私欲を追求する状態となった。今日、イク族の社会では親は子供と老人を飢えたまま放っておき、人々は他人の不幸をサディスト的に楽しみ嘲笑し、誰もが隣人や他の村人からから盗むか、さもなくば貶めるような、ホッブスのいう「悪夢的状況」となった。文化は、個人と同様邪悪なものにも成り得るのである。人間の性質が、社会的な病理に対抗する保証はないのである。

 文化と個人の関係は、かなり以前にコラ・デュボア(Cora DuBois)、ジェフリー・ゴラー(Geoffrey Gorer)、アブラハム・カーディナー(Abraham Kardiner)、マーガレット・ミード(Margaret Mead)のような人類学者によって認識されている。これらの学者は、一方でアメリカ、ロシア、ドイツ、アロリーズ(Alorese)島民などの社会と文化の関連について、また一方でこれらの社会で見出される典型的な気質について実地調査した。

 性格の形成を理解するにあたって自己、社会化、文化などの基本的な概念を議論する必要があった。ここから、人格の発達にとって極めて重要な役割を果たすしくみ―家族へと議論を移すことにしよう。

3、家族とその重要性

 人類にとって最も重要で、なおかつ唯一普遍的な第一次集団は「家族」である。「家族」という用語には、歪曲された用例が少なくない。この名称をあらゆる種類の一次集団、あるいは犯罪集団(例:「我々は兄弟だ」これは、「我々は互いを愛している」の意味)から社会全体(例:「アメリカは、大きく、幸福なひとつの家族だ」)、果ては全人類(例:エドワード・スタイケンの著名な写真本‘The Family of Man’)に至る二次集団にまで適用することが流行となっている。他に最近話題に上った例として、プロミス・キーパーズ(Promise Keepers)のワシントンD.C.での大会がある。そこでは自ら「家族」と称する超宗派の何十万人もの男性が集った。これらの集団はせいぜい疑似家族(ギャングなど)か、あるいは単に、彼らが隠喩的に家族と呼んでいるに過ぎない。

 それでもなお、修正主義社会学者と空想社会主義の提唱者は、原始共同体やさまざまな一次集団を「家族」と呼び続ける。

 彼らの誤りは、単純である。集団は、それが血縁集団でない限り「家族」ではないということである。人が同じ家族の一員となるなど、他の人の親戚となるためには、ふたつの方法しかない。すなわち、姻戚関係(affinity)と血族関係(consanguinity)である。つまり、人は婚姻と血統を通してのみ繋がれるのである。良い友であること、文化を共有すること、ひとつ屋根の下に住むこと、性交渉を持つこと、頻繁に交流すること――これらはどれも家族を形成することはできない。これに反論する者は、単にこの用語に別の定義を与えているに過ぎない。もちろん、これから「椅子」は食事をのせる家具で、「机」は座るために使われるものである、と決めることはできるが、しかし不協和音を避けようとするなら言葉の意味について合意することは重要である。

 このことは、「家族」について戦われてきた戦闘のひとつの主要な戦線を持ち出す。結婚のみが非血統的に家族を形成する方法であるため、自分たちの政治的目的のために家族の概念の意味する内容を薄めようとする者により、結婚の再定義が提案された。例えば、同性の者同士の結婚できれば、彼らは家族となる。同様に12人の同性愛者が合法的に互いに結婚すれば、彼らは家族を形成する。

しかしながら、このような修正主義はあまり成功しなかった。というのは、社会は家族とその生物学的側面の切っても切れない繋がりを忘れなかったのである。人間は、社会的かつ生物学的な生き物である。マードック(Murdock)からパーソンズ(Parsons)に至る機能主義派の社会科学者は、家族が社会的および生物学的機能の両方を担うかけがえのない制度であることを示したのである。人間は、文化的かつ生物学的な生き物である。空想社会主義者の誤りは常に、後者を無視し、我々の種がどのような制度でも自由に選んで組み立てることができると考えてきたことである。

仲介者としての家族

 典型的な一次集団として家族は、個人と社会、マクロとミクロ、二次と一次、公と私、国と市民、制度的なものと感情的なものの唯一の仲介者として位置づけられるのである。

 トクヴィルからコーンハウザーに至る社会科学者は、前述した「緊張状態」について議論している。トクヴィルは、アメリカの民主主義の強さは、我が国の盛んな中間段階の集団的活動にあると述べた。例えば、非常に多くのアメリカ人(「団体参加者達の国」)がボランティア協会や他の一次集団などに所属している。

 19世紀の前半にこのように書いたこのフランス人のトクヴィルは、先見の明があったに違いない。当時、オーウェル流の行き過ぎた20世紀の大衆社会は、まだまだ未来のものであった。文化の大衆化、現代生活の没個性化と官僚政治化、全体主義国家の独裁政権の出現は大衆宣伝とマスメディアによって支持されたが、これら全ての個人の自主性に対する侵食と脅威はまだ現実のものとはなっていなかった。

 しかし、トクヴィルは、健全な社会には国家と個人の間に仲介構造による緩衝装置が必要であることを知っていた。これらの中間段階の諸制度の侵食は、結果として大衆社会を生み出した。このような社会は、一方でアトム化し、疎外された個人、もう一方で抑圧的な国家に分極化する。大衆社会では、個人は自分自身と国家にのみ忠誠を尽くす――その中間には何もない。大衆は熱狂的な民族主義と戦争に容易に押し流されていく。そこには国家の個人に対する支配をかわし軽減するために取って代わる絆も忠誠もない。

 歴史を通して家族は、個人の結びつきにより、過剰にアトム化した個人主義と過剰に大衆化した集団生活を回避する唯一の最も重要な第一次的制度であった。

 このふたつの過剰は、20世紀になって特に顕著になった。すなわち一方で、徹底的な国家統制の可能性がある。そこでは市民がロボットのような自動人形、洗脳された順応者、制度上の役割に終始する者になる。このような完全な演技者は社会病質者である。社会病質者は本当の自己を持たない。彼は単なる演技者である。彼は常に期待されていることを果たす。彼は完璧な会社人間である。あのナチスの処刑執行人と同じである。彼らはただ命令に従って、自分の仕事をするのみである。そこに彼の行動を導く核となるアイデンティティーはない。彼は私(I)のない純粋な私(me)である。ognonのようにおおいを剥すことで核となる自己は現れない。

 この反対に、極端な絶対的個人主義と無政府状態の可能性がある。ここでは人々は衝動に支配される。彼らは精神病質者である。精神病質者も自己を持たない。私(I)が支配する。フロイトならイドの衝動と言ったであろう。しかし、自己統制も他人への関心も欠如している。

 これらふたつの過剰は、手に手を取って訪れることもある。例えば、このような意味で多くの観察者は現代アメリカにおける家族の衰退を憂慮するのである。家族が衰退するにつれて、ふたつのことが起こる。まず、乳母国家(Nanny State)が台頭する。例えば、以前は家族で働いていた機能が国家のloco parentisによってより扱われる。次に、個人はますます快楽主義的衝動にまかせて目先の満足を求める。ソロキンの言う感覚中心の社会の特徴である。

Bergerらが優れた‘The War over the Family’(1984)で述べたように、衝突は公と私の領域の間にある。20世紀において前進を遂げたのは前者であり、後者はかつて無いほど侵害された。

 同時に、結婚のように強く、永続的で、愛があり、一夫一婦主義的で、個人的な結びつきを減退させることに、国家は関心を持つ。オーウェル(Orwell)のウィンストン・スミス(Winston Smith)が犯した最悪の罪は恋に陥ることだった。ハクスリー(Huxley)の‘Brave New World’では、大衆は定期的に乱飲乱舞の酒宴と薬物の饗宴を行うよう命令された。マルクーゼ(Marcuse)は‘repressive desublimation’(抑圧的に本能的欲求を昇華する能力を奪うこと)の概念を造り出した。それは、再び、大衆社会の性的消費の強制的性質を意味している。

 フーコー(Foucault)の現代社会における性に関する洞察は、等しく説得力がある。それは前述の著者と同じ結論に達している。すなわち、「現代の国家が民衆に対する統制力を増すためには、深く永続的な主たる結びつき(愛)と家族のようなそれに基づく制度の効力を消さなければならない。国家は性を専有してそれを無害なレクリエーション的商品、消費商品にしなければならない」と。

「性教育」と公立学校の子供たちへのコンドームの大量配布は、この考え方によって意味を持つことになる。

 このように、他のどの制度よりも社会の全体主義化と大衆化の行く手を塞ぐのが「家族」である。家族のお陰で、多くの市民は精神病質者や社会病質者にならずに済むのであり、逆に、彼らは健全な自己を発達させることが可能なのである。

家族と社会化

 社会学者は、「第一次社会化」と「第二次社会化」とを区別している。

「第二次社会化」の意味は、ほぼ「学習」と同義である。それは、大学、職場など成人がかかわる社会集団ならどこにおいてもあり得るものであり、更にそこでは特殊な技能や知識を習得しなければならない。それは、概して認知過程であるといえる。一方、「第一次社会化」は、それとは別の内容である。すなわち、「情操(sentiment)」を包含するものである。

 ミードと同時代人であるミシガン大学のクーリー(Cooley,C.H.)は、「自我」の決定的な構成要素を初めて探究した人物である。自我の成長には、認知能力を形成することだけでなく、より重要なものとして情動部分を形成する意味がある。クーリーの説明によれば、自己概念は次の3つから構成されている。すなわち、(1)自分が他人の目にどのように映っているかという想像力、(2)そのような他人の目に映った自分の姿を彼らがどう判断しているかという想像力、(3)その結果生じた「感情」(feeling)−例えば、プライドや恥−である。家族というものは、第一次社会化が展開されるところの生物学的基礎単位なのである。社会化は、「役割取得」を通して、−例えば、自分と他人との「同一視」を通じて−展開される。

 再言すれば、こうした同一視過程の第一段階と第二段階を区別することは、重要なことである。ミードは、この第一段階を「遊び(play)」、第二段階を「ゲーム(game)」とそれぞれ呼んでいる。

 その第二段階についてミードは、野球ゲームで比喩している。効果的なチームプレーヤーになるためには、その子どもは、自分の与えられたポジション(例えば、ピッチャーとかショート)の役割以上のこと(技術)を学習する必要がある。つまり彼は、野球のルールとそれぞれのポジションの役割をも含めた野球全体のゲームのしくみを学習しなければならない。ミードの野球の比喩は、社会について−「一般化された他者(generalized others)」−の説明でもある。すなわち、「一般化された他者」との同一視は、立派な市民になるための一過程であるが、大雑把に言えばそれは認知学習の過程なのである。

 我々に関連するものとしては、ミードのいう「遊び」段階である。なぜなら、それは社会化の第一段階−例えば、個人が「重要な他者」と自己同一視するところの段階−であるからであり、更にはこれが非常に情的な学習過程でもあるからである。

 第一次社会化は、一生涯を通して展開され得るが、しかしそれは、主として子供の時期に展開されるものである。人格の深い部分における変化は、成人としての全期間にわたる第一次(再)社会化によって展開されるが、その実例としては次のようなものがある。

 すなわち、洗脳、「エンカウンター・グループ」のような激しい精神療法のある種の様態、宗教的な回心のみならず世俗的な意味での回心、いじめや儀式のある様相、投獄などである。しかしながら、成人の社会化はあくまでも第二次的なものである。

「重要な他者」は「役割モデル」とは同じものではない。我々の文化の中では、これら2つの用語の理解について混乱しているところがある。「マイケル・ジョーダン」は、少年非行になる可能性のある都市域の子どもについての重要な「役割モデル」だと言われている。問題は何かというと、マイケル・ジョーダンは赤の他人かもしれないということであるが、しかし確かに言えることは、都市域の子どもにとって彼は「重要な他者」ではないということだ。「重要な他者」だけが、子どもの自我の発達に対して、深く、永続的で、かつ人格形成を促す効果がある。里子を預かる家族の気の滅入るような記録は、(子どもに取って)親という存在は取って代わることができないことを証ししている。

 全体的に自我が発達するのは家族内においてである。そこには、認知次元と情緒的次元両面が含まれており、さらには積極的側面と消極的側面も包含されている。家族は、個人の精神的、情緒的健全さの源泉であるばかりでなく、病理の源泉でもある。シェフによると、「恥」は、それが本人に認識されず、認知されないけれども、多くの主要な社会問題の根源にあるという意味で、最も広く見られる病理であるといえるかもしれない。こうした問題の原因と救済策は、現在のような状況の家族の中から果して見出せるのであろうか。

変化する存在としての「自我」

 個人の自我の質は、その個人の質の程度によって決まってくる。自我意識のレベルと自己管理の程度は、違いがある。ある個人の自我がより高度に発達すればするほど、その人のモラル(道徳性)のレベルも高くなるものである。スタンレー・ミルグラムの先駆的な業績を基礎にして、ハーバード大学の心理学者ローレンス・コールバーグは、道徳の発達の6段階を確認した。その6段階は、権威者への盲目的服従の段階から、自律的な思考によって、そして自己中心というよりはむしろ他人の利益のためを思う利他的関心によって、導かれた道徳的意識の最も高い段階までを扱っている。その理論は、ガンジーのような実例を通して、例示される。

 コールバーグは、道徳の発達段階と暦的年齢の間の相互関連性を強調している。換言すれば、低年齢の子どもは、成熟した成人と比べて道徳性に欠けて行動する傾向があるということだ。

個人が、必ず成熟した自我に発達し、道徳発達を遂げ高い段階まで達するという保障は何もない。「社会化」するのに有効な「協助者」がいないために、発達障害の自我を生む結果となる。コールバーグによると、典型的な米国人の大学生は、道徳発達の3段階と4段階の間のどこかに位置しているという。もしそうならば、これはもっと悪い状況である。

 今日、米国人口の多くの部分は、崩壊しつつある家族構成によって、特徴づけられる。「機能障害の家族」は、多くの社会病理に関連した包括的表現である。その社会病理には、次のようなものが含まれている。すなわち、家族崩壊、未婚の母、シングル家族、そして親が犯罪者、アル中、麻薬常習者、精神異常、虐待、怠慢であるものなどである。そのような家族からは、相当数の非行や環境不適応の子どもが生まれている。彼らの行動は、日々の新聞のニュースを飾っている。そして良心の呵責もなく、他人に対してことばでは表現できないような残虐行為を犯すか、あるいはさまざまな悲劇の犠牲者に自分たち自身がなっている子どもたちの姿を目にするのである。

 略奪者としての青少年と犠牲者としての青少年の両方の状況は、もとをただせば同じ共通の条件にたどり着く。それはすなわち、未熟な自我の発達である。機能障害の家族は、発達不全の自我を生む。なぜなら次世代の社会化である仕事に失敗するからである。人は自然と年齢を重ねることはできるけれども、必ずしも成熟するとは限らない。すなわち、自我が、自分自身というものについて自覚できず、衝動的であり、他人に対して思いやることができず、かなり自己中心で、自己管理ができず、より動物的で、思慮深くなく、より幼稚なままであることもありうるのだ。

 自我の質はまた文化によっても変化する。歴史的にそうであったように、米国人がいつも、寛容で、人に尽くし、思いやりがあり、面倒みががいいという保障は全くない。個々人と同じように、社会もまたその特徴において変化するものである。同じ社会でも、優しく文明化された社会から、残忍で、野蛮で、精神異常の社会に変質することもあり得る。そのような社会の大変貌の実例としては、前述したウガンダの例から、ドイツの例まで見られる。

 家族の役割は、個々人の個性と同様に、国家の持ち味(個性)を作り上げる際にも、重要かもしれない。例えば、ある学者(ゴーラー、レーウィンなど)は、もっともらしく次のような議論を展開した。伝統的なドイツの社会化の例は、20世紀におけるドイツ没落への道を開き、その結果ファシズムに至ったと。

 米国では、礼儀正しさの衰微とそれと同時進行した家族の崩壊が見られる。確かに、家族の崩壊は、礼儀正しさの衰微の根本的原因である。高い犯罪率とその他の病理現象は、著しい家族崩壊に瀕しているグループの中に、確かに見出されるという事実をみれば、因果関係は明らかである。単純化して言えば、多くの家族が崩壊すればするほど、ますます個々人は奇形で、発達不全で、未発達の自我に成長し、コールバーグのいう意味での「幼稚な道徳観」になるということである。

4、いくつかの応用例

さて、ここでいくつかの逸話に目を向けて、自我の発達と自我に対する家族と「重要な他者」の影響について例証しようと思う。何人かの「偉人」を簡単に引き合いに出してみよう。彼らについては、明らかに詳細な伝記的データが残っている。しかし議論のために歴史上の人物のみを選んだからと言って、偉人が普通の人よりも心理学的に、あるいは道徳的に秀でていることを意味するものではない。

ここでは一般によく知られたケースについて、簡単なアウトラインを提供するのみである。それぞれのより詳細なデータについては、参考文献を参照してほしい。

マルコムX

 公民権運動家であるマルコムXの幼少時のことは、自叙伝の中に描かれている(「マルコムX」1964、65参照)。彼が黒人のイスラム教へ回心し、過激化する以前は、マルコムは「アンクル・トム」の典型(注:白人のご機嫌をとる黒人の意味)であった。彼が子どものころは、さまざまな白人の「重要な他者」によって、多かれ少なかれ「マスコット」として扱われていた。

 彼の人格形成への決定的な影響は、実の家族から受けたものではなく、さまざまな組織集団の中で小さい頃から出会っていた白人の大人からであった。彼と似たような境遇の中では、一般的に多くの子どもたちがそうであったように、彼も少年院に入ったのである。その時彼は、13歳であった。幸いなことには、少年鑑別所の監督者であったスワーリン夫人とその夫が、彼をすぐさま気に入って、彼らのもとに置いてくれたのであった。しかし、これはかなり庇護されたような立場での受け入れであった。白人の権威ある人々はみな彼を気に入り受け入れてくれる一方で、次のような態度を示していた。

(彼のことばによれば)「人がペットのカナリヤの前で、自由に何でも話し掛けるように、彼らも私について、私が彼らの目の前におり彼らの話を聞いていながらも、そのことをはばかることなく、自由に何に関しても話をするのであった。まるで私がその場にいないかのようにして、私のことに関して、あるいは「黒人」に関してさえ、彼らは話をするのであった」と。

 このパターンは、彼が学生時代において、あるいは職場において、更には彼の青年時代全てにわたって繰り返されたのである。彼が第7学年のとき、マルコムは級長に選ばれた。白人の教師はすべて、彼を気に入り、彼に優秀な成績を与えた。例えば、彼の国語教師であったオストロウスキーがしたように。しかしながら、これはあくまでも「マスコット」あるいは「ペット」として彼を受け入れたのであって、一人前の存在として平等に扱ってのことではなかったのである。

 マルコムが、その後、過激な政治運動家になり、そして最後には政治的敵対勢力によって暗殺されたことは、よく知られた事実である。しかし、ここで我々の最大の関心事項は、彼が死ぬ直前の最後の(精神的な)発達段階についてである。白人に対する先鋭な敵愾心を持ち、更には人種的な調和に対してわずかな可能性すらも信じていなかった彼の精神的期間を経た後で、彼は全人類を受け入れるような心理にまで達している。中東のメッカから戻ってから、マルコムは全人類、すべての国籍、すべての人種に向けて、兄弟愛を説き始めたのである。

 彼の幼少時に受けた多くの白人からの彼に対する横柄な態度にもかかわらず、マルコムの「第一次社会化」は次のことをも包含していた。すなわち、白人との多くの積極的な経験、そしてスワーリンズ先生のような多くの「重要な他者」が受容してくれたことである。これらのいい意味の影響なくしては、彼の人生の最期において、人類の調和の境地に到達しなかったであろうことは、疑いのないことである。

ヘレン・ケラー

 この有名な米国女性は、幼少時からずっと三重苦(聾、盲、唖)を背負っていた。それにもかかわらず、彼女は優れた作家、教育者になり、更に見かけ上では乗り越えられないような障害を克服しようとしている人々に対しての励ましとなった。これは、どのようにして可能となったのだろうか。

 再言すれば、その答えは、幼少時の「社会化」と「重要な他者」の重要な役割にあるといえる。そのポイントの役割を果したは、彼女の両親ではなく(とはいっても、両親も彼女に対して援助していたことは事実であったが)、他人であった。彼女が6歳の時、彼女の両親はボストンにある盲者のためのパーキンス研究所に懇願して、アニー・サリバンという素晴らしい教師を送ってもらった。ここで、ヘレン・ケラー自身が、どのようにして彼女にとってもっとも重要な「学習」ということを経験したのか、彼女自身の書物から紹介しよう。


 <私が、しばらく人形で遊んでいた時、サリバン先生はゆっくりと私の手のひらに「人形(doll)」ということばを綴ってくれた。私はこの「指遊び」にすぐさま興味を覚え、それをまねし始めた。・・・階下の母のところに駆け降りて行き、母に対して手を開いてそこに「人形」という文字を書いて見せた。その時私は、ことばを綴っていたということは全く認識していなかった。・・・私は、ただ猿まねのようにして自分の指を動かしているだけであった。その後の日々は、私はこのようにしてことばの意味を理解しないやり方で、多くのことばの綴りを学習していたのであった。

 ある日、私は井戸に向かって歩いていた。誰かが井戸から水を汲み出し、サリバン先生が井戸口から吹き出る水の下に私の手を置いたのである。冷たい水が私の手にほとばしったとき、先生は新しいことば「水(water)」を私の手に綴ってくれた。・・・その時突然、私は何か忘れられていたもののような、漠然とした意識を感じた。それは思いが蘇ってくるようなぞくぞくする興奮であった。このようにして私の中に言語の神秘性が現われて来たのであった。その時私は、先生が綴ってくれた「water」というものが、私の手の上を流れていく、素晴らしく冷たいものを意味するのだと分かったのである。その生きたことばが私の魂を蘇らせてくれたのである。

 私は更にを学習したくて、井戸を離れて行った。あらゆるものには名前があり、それぞれの名前を知るたびに、私は新しい知識を獲得していった。・・・その日、私は実に多くのことばを学んだ。それらが何であったのかは、今では覚えていない。しかしそれらの中に、母、父、姉、先生ということばがあったことは、はっきりと覚えている。>

 ヘレン・ケラーの「学習曲線」は、その後も上向きに進んでいった。その日から信じられない速度でその「学習曲線」は上がり続けていった。類推と連想を手助けにして、サリバン先生はヘレン・ケラーに対して、最も複雑な経験、すなわち「愛」「思想」などの概念をも含む抽象概念の意味を理解させることに成功した。そしてついには、ヘレン・ケラーは優れた著述家、活動家となり、彼女が直接には体験したことの全くない、シェイクスピア風の精巧な表現で事実を描写できるようになったのである。

 ヘレン・ケラー自身の経験とサリバン先生によってなされた一部の経験は、(マルコムの場合と同様に)ここでも、「第一次社会化」の大きな可能性を証しするものである。付け加えれば、それは人間の発達において言語の果す重要な役割をも経験的に証明している。全体として言えることは、ヘレン・ケラーの自我の奇跡的な発達は、見かけの上では、直接的な彼女の家族の援助以上のものによって促されたのではあるが、その自我発達が、サリバン先生をも含む深く優しい彼女の家族環境による結果であることは明らかである。

マハトマ・ガンジー

インドの指導者であるガンジーの自我の発達については、彼に関する自叙伝とエリック・エリクソンによるその精神史的分析のおかげで、より詳しく分かっている。

 エリクソンのガンジーに関する研究は、「人がどのようにして歴史的な役割を果すように成長していくのかの糸口」をさぐることに焦点がある。彼が感じているところのガンジー像は次のようなものである。「ガンジー自身は、彼について語られた逸話の集体よりも精巧に組み立てられているということは、次のようなことを暗示している。つまり、率直ではあるが、手強くはなく、恥ずかしがりやではあるが、引っ込み思案ではなく、びくびくしていて、意志が固く、知的ではあるが、机上の空論家的ではなく、強情ではあるが、頑固ではなく、官能的ではあるが、甘くはない。以上のことすべては結局、本質的には説明不可能な人格的誠実さ(完全性)を意味していることになる」と。

 ガンジーは1869年に、25歳の母親と47歳の父親のもとに、大家族の中の末っ子として誕生した。その大家族には、父親の5人の兄弟とその家族が含まれており、かれら全員が3階建の先祖伝来の大きな家に暮らしていた。そうした氏族全体は、ガンジーの父親の情深い父権的指導のもとに生活していた。そうした多くの兄弟姉妹の間や親戚の間の人間関係は、競争的でありながら、また一方では協調的であった。しかし、その中でガンジーは、最も小さい男の子であったので、特別な位置が与えられ、甘やかされていた。彼の父親は、「自分のお気に入りの息子に対して最高の寛大さ」(エリクソン)を示していた。同時に若きガンジーは、13歳で結婚させられた。このことは、19世紀のインドという歴史条件を考慮すれば極端な出来事とは言えないとはいえ、彼にとっては父親を許すことが絶対にできないほどの出来事であった。

 ガンジーの母親は、とても信心深く、伝統的な考え方や断食のような慣習に対して、熱烈なほどに忠実であった。しかし、彼女は押し付けがましくもなれば、懲罰的でもなかった。彼女の霊的な資質は、ガンジーに長くわたって影響を与え続けた。

「子どもは、大人にとって父親的存在である」ということばを有名にしたのは、エリック・エリクソンである。ガンジーの場合(そしてエリクソンが主張するところでは、徳の高い他の人物の場合も)、そのことは、特別で文字どおりの意味合いを持っている。すなわち、それは幼少時からずっと、親と子どもの役割はしばしば逆転するということである。

 この場合の問題は、若きころのガンジーが両親を必要としたかにあるのではなく、両親が彼を必要としていたのかどうかという点である。彼は当時未だ大人ではなかったが、若きころのガンジーは、両親にとってはしばしば「親的存在」にあったのである。かなり後になって、ガンジーは自分の17歳の息子に宛てた手紙の中で、次のように書き綴っている。「私が君ほどの年齢にも達していなかった頃、私の最大の喜びは、自分の父親を面倒を見ることであったことを覚えている。12歳になるまで、私は遊びとふざけることの何たるかを知らなかったのである」。

 エリクソンは、ガンジーのような「早熟な良心」がガンジーと似たような(しかし稀な)子どもの場合の品質保証になるかもしれないと記している。彼は更に続けて、「(その場合)私は、聖アウグスチヌス、聖フランシスコ、キルケゴールのような人々を頭に描いているといわなければならない。・・・それらの子どもは、痛ましいほどに幼い時期に、(親子の)立場が逆転し、親に与え、判断し、事実上、『親の代理』(parental agent)になるのである」。そしてそのような特別な人間は、「自分が自分自身の親になろうと努力し、特別な方法で、まだ大人になっていないにもかかわらず、自分の親の父親になる」。

 エリクソンは次のようにも言っている。

 「この傾向とは,この傾向自体が有する発達の論理−すなわち、ガンジーの生涯が、他の聖人の生きざまと同様に持っている論理−である。芽生えつつある『自我』が、すべての権威者の真実よりも、すぐれた真実を心に抱くことをいつも信じることによってのみ、思い上がった良心がここに平和を見出すことができる。なぜなら、この真実は、神とともにある「自我」契約だからである。これこそ、『ホモ・レリジオス(homo religiosus)』の確信であるべきだと考える」。

 ガンジーが歴史的人物として立派に成功できたのは、彼の両親によって裏付けられた人間関係のような一対一の強力な人間関係の段階から、コミュニティーとの一対一の関係の段階へと発展させた能力のおかげであった。南アフリカ共和国での彼の初期の政治的な活動史において、このことが初めて実現された。これは、まさにG.H.ミードのいう「自我発達」の段階の素晴らしい例といえる。それは、つまり「遊び」段階と個人の「役割取得」という段階から「ゲーム」段階へと発展したということである。そのゲーム段階では、「一般化された他者」のような意味のコミュニティー全体が「他者」となっている。


偉人は普通の人より高尚なのか

 エリック・エリクソンは、上述した3つの内容にちょうど試みられた分析のために、“originology”と“traumatology”という用語を新しく作っている。「精神史」はこのアプローチについての、もう一つの用語である。心理学者は、同様の手法の分析を他の歴史上の人物(キング牧師等)に応用している。

 キング牧師に関して、エリクソンは、フロイトのいう「父親転移感情」という用語を使って、キング牧師の経歴を説明している。同時に、キング牧師は、「若さという信じられないような元気を回復させるエネルギー」から力を得ててきたといわれている。その「エネルギーのおかげで、彼の天賦の才が花開き、時としてキング牧師に現われ出る教皇権に対する異常なほどの憎悪をはるかにしのぐ新しい生命と力をもったキリスト教信仰を再び強く主張させたのである」。

 たとえそうであったとして、ある心理学者はいやいやながらも、「ある偉人は、確かに一般的なノイローゼを持っているようだ」ということを認めている。次のことは、核心事項である。すなわち、「偉人」と「善人」を同一視することは間違いである。ルソー、ナポレオン、マルクス、ピカソなど歴史上人物に見られるように、彼らの伝記について十分に調べなくても、偉大さと道徳性との相互関連がないことは明らかである。実際、小さな相互関係について議論することは、しようと思えばできるであろう。その場合は、偉大さには犠牲が必要であり、暖かみがあり、一方的に与えるような人間関係を第一番目にあきらめることもまた必要だという意味においてである。偉人についての逸話を研究してみると、偉人の成功の多くの部分は、配偶者や、子供、第三者の多くの犠牲の上に立っていることがわかる。犠牲となったそれらの人々とは、まさに偉人たちが歴史上におけるその位置を占めるために、抑圧されたり、顧みられなかったり、あるいは容赦なく搾取された人たちであった。しかし私は、この点をあえて強調しようとは思わない。

 私が何としても強調したい点は、偉人研究というものは、私のこの論文のトピック−すなわち、健全な道徳的自我の発達、そしてそれに対する家族の影響(貢献)−に対して、あまり光を当てていないということである。しかしこのテーマは、一般に多くの人によって最も研究されている。それは、偉人が道徳性の点においてはずばぬけた位置を占めているからなのである。

社会学的なケース:イク族

 イク族はウガンダの北部の山間部に住む人々である。人類学者であるコリン・ターンバルは、第二次世界大戦後数十年間にわたってこの部族の衰退の経過を研究してきた。

 第二次世界大戦までは、イク族は、ケニヤ、スーダン、ウガンダなどを含む地域を放浪する狩猟採集民族であった。彼らの家族概念は、遊牧社会においてはそうであるように、広範かつ柔軟なものであった。居留地域とその近隣のコミュニティーの構成員は、実の親族関係と同じ意味である。子どもたちは、自分の兄弟姉妹と同じように、親や同年の友だちを同じキャンプに住む大人としてみている。それは同時に、かなり離れて住む実の2人の兄弟であっても、親族関係にはないことになる。それゆえ、イク族の親族関係に対する態度は、本質的に言って群居性のものであった。そのような態度が、「彼らの移動と狩猟活動の制限の結果起こった急激かつ破局的な変化の第一原因」であった。1940年以降今日まで、彼らは北部ウガンダに定住し、二次的農耕民になるようすすめられた。その結果、「家族は簡単に消滅したのであった」。

彼らがそのように変質するまでは、イク族は狩猟と採集という典型的な特徴をもっていた。彼らには、優しさ、寛大さ、思慮深さ、情愛深さ、誠実さ、他人に対する暖かい心情、情熱、情け深さなどが特徴としてあった。そのような気質は、彼らの狩猟生活においては、機能的でもあった。

 ターンバルは、彼がイク族の中でフィールド調査をするまでは、「どんな民族でもそうであるように、不親切で、情けがなく、他人に対して暖かみがなく、一般的に意地悪だと思っていた」という。

 イク族の人たちは、農耕民になってしまってからは、乾燥した厳しい地域では生き抜いていくことができなくなった。飢餓は、今現在も彼らの脅威となっている。しかし、彼らのすべてがそのような危機に、同じようにさらされているわけではない。家族概念の崩壊、混沌とアノミーの発生以来、餓死によって後に残されたのは、老人と、子ども、そして弱者であった。イク族の子どもたちは、3歳になると親の家から放り出されてしまい、自分自身の手だけで生きていかなければならなくなる。イク族のことばで「よい」ということの意味は、食物のことである。つまり、「よい人」というのは、「お腹いっぱになっている人」ということと同義なのである。「愛」という概念は、馬鹿げた危険なものとして、捨て去られたのである。

 ターンバルは、イク族の自己中心性について、さまざまな方法でもって調査研究している。彼らは、近親者が亡くなっても決して悲嘆しない。却って、他人の不幸を喜ぶほどである。彼らは最小限度、別々に自分の仕事をしなければならない。そしてまた彼らは、互いに助け合うことをしない。もし助け合ったりすれば、その人に借りを作ることになるからである。機会があればいつでも他人ものを盗むのである。ついに雨季がきたときには、一時的な繁栄と全てに対する十分な食料があった。大地は、青々となり、豊かになった。しかし、食糧を生産し収穫する代わりに、イク族は穀物を腐らせ、鳥やヒヒに大地を荒廃させるままにしたのであった。

 ターンバルの言いたいことは、明白である。すなわち、堅固な社会的基盤と強固な家族のしくみがなければ、社会というものは道徳とは無縁のニヒリズムに落ち込むのは必然だということである。そのような崩壊の原因は、イク族のケースのように、経済的、生態学的のものであり、あるいは文化的なところにもある。この危険を、まぬがれ得るすべをもつ社会はない。ターンバルは、特に次のことを想起させてくれている。もし家族の崩壊が相当起こり、それを援護するものが与えられれば、我々の社会でさえ、混沌とした個人主義に堕ちることもあり得るということである。

5、「家族に対する戦争」

 最後のセクションのタイトルは、ピーターとブリジット・バーガーの著作(1984)から拝借している。そのポイントは基本的なものであり、次のようなものである。

1)私的領域は、公的領域からの激しい攻撃にさらされている。

2)父親は、主流的な位置からはずれてしまっている(Blankenhorn,1996参照)。乳母の状態の出現。「括弧つきの父親」。拡大家族から、核家族、シングル家族へ。

3)悲観論者:Kristol; アンダーソンの著作における雑多な作品。

4)楽観論者:Mack; 同上。

5)唯物論:Sorokin(社会学者)の感覚的文化。

6)フーコー(Foucault):現代社会の性に対する異常なほどの関心。なぜか。性の医学的治療。 

7)こどもに対する体罰の問題:Murray Strauss参照。

8)少年非行。 

(1997年11月25日発表、一部省略)